《慰撫の夜》

〔V〕




 さぁさぁ、と促されるままに、僕はクリスマスの雰囲気に酔う外へと出る。雪は相変わらず降っていたが、風はさっき程ではない。このぐらいなら、神様に祝福されたカップル達も十分に甘い夜を楽しめるだろう。

 暫く歩いて、駅前のアーケードに入る。近くに百貨店もあるここは何時も賑わっているが、今日はそれに増して、芋を洗うような大混雑だった。商品を片手に行き交う人達を呼ぶ、白いヒゲの人もたくさんいる。

 そんな中を、僕達は早足で歩いていく。

「で、何処に行くんですか?」

 先を歩く悪魔さんの背に、僕は尋ねる。体の大きい彼が先を歩き、僕はそれで空いたスペースを辿って付いていっていた。

「もう少しです―――ほら、あそこ」

 悪魔さんが指差したのは、混雑している大通りから逸れた横道だった。構造上、影になっているそこは、周りが明るすぎるせいか嫌に暗く見える。

「あそこで子供が泣いています」
「え・・・子供が?」

 予想していなかった言葉に、僕は思わず訊き返す。

「ええ。本当です。どうか行って、話しかけてあげて下さい」
「僕が?」
「ええ。私は何と言うか、普通ではありませんから。下手に怖がられても困りますしね」

 苦笑いを浮かべる悪魔さん。僕は、はぁと頷くと、とりあえず横道を覗き込んでみる。

 ぱっと見ると、そこには誰もいない。薄暗い中に、雑然とダンボールやビール瓶の籠が置かれているだけだ。だが耳を澄ますと、確かにか細い泣き声が聞こえてきて、そこに誰かがいるのが判る。

「あの、どうかしましたか?」

 喧騒に掻き消えてしまわぬよう、少し大きめに声をかけてみる。すると、ガタンという音。積まれていたダンボールが、音を立てたようだった。

 あの後ろか・・・?

 恐る恐る、暗く陰るダンボールの、その影を覗き込む。

「えぐ・・・っ・・えぐっ・・・」

 そこには確かに、子供がいた。ダッフルコートを着た小さな女の子。年は、小学校に入ったばかり、といったところだろうか?二つ括りにした長い髪の先を地面に付け、泣きじゃくりながら、寒さの中で小さく丸まっている。

 泣き腫らした赤い目が不安げに、突然現れた僕を見上げる。

「えーと・・・君、どうしたの?」

 色々思うことはあったが、このままこの娘を放っておく訳にはいかない。怖がらせないよう、僕なりに精一杯の笑みを浮かべながら、とりあえず言葉をかけてみる。

 だが女の子は答えない――というより、答えられない状況なんだろう。僕は彼女の前にしゃがみこんで目の高さを合わせると、そのまま気長に待つことにする。

「パパとママがね・・・ひっく・・・ウソついたの」

 やがて、女の子がぽつりと言葉をこぼす。僕は少し緊張を緩ませて、優しく先を促す。

「お父さんとお母さんが?」
「うん・・・えぐ・・っ」

 一度頷いてから、また暫くしゃくり上げる女の子。僕は黙ってその濡れ羽色の髪を撫ぜながら、また落ち着いてくれるのを待つ。

「今日はクリスマスだから、カナに、おいしいごはん、食べにいこうって、約束してくれたのに・・・・・・パパもママも、お仕事お休みだって言ってくれたのに・・・っ」
「―――それで、家を出てきて、迷子に?」

 何となく先が読めて、僕は女の子の――カナちゃんと言うらしい――言葉を補う。カナちゃんは、うん、うん、と二度頷くと、また激しく泣きじゃくる。

 多分、こういうことなんだろう。

 彼女の両親は娘と食事の約束をしていたが、急用が入ってしまい、両方とも急遽仕事に出ることになってしまった。カナちゃんはそれに怒って家を飛び出してしまい、そして現在に至る、と。

 ・・・まいったね、これは。

 そういうことなら、尚更このままにはしておけない。小さい子が巻き込まれる事件が多発しているこのご時世に、このままこんな所にいたら、本当に何をされるか判ったものじゃない。僕が、というよりも悪魔さんが彼女を見付けたのは僥倖だった。

 さて、問題はどうやってこの娘を家に帰すかだけど・・・。

 泣かないで、とカナちゃんを諭しながら、僕は内心考えを巡らす。

 落ち着いたら、住所とかを聞きだせるだろうか?小学生低学年、と言ったら、人によっては住所くらい言える年頃だ。この娘もそうならば、あまり問題はない。

 そう考えて、僕は住所が分かるか尋ねてみる。だが、カナちゃんは首を横に振るだけだ。

 となると、やはり警察に預けるべきだろうか?もしかしたら、親御さんの方から連絡が入っているかもしれない。

 人任せって感じで、少し冷たい気はするけど・・・・。

『その娘を連れて、辛味亭まで行って下さい』

「え・・・?」

 不意に悪魔さんの声が耳に響き、僕は慌てて立ち上がり、辺りを見回す。だが、彼の黒い姿は何処にも見当たらない。

『すいません、驚かせてしまいましたか?』

 キョロキョロしていると、また声が聞こえて来る。やっぱり、悪魔さんの声だ。

『実は、私も今取り込み中で遠くにいまして。声だけを前原さんの方に飛ばしているんですよ』
「声を、飛ばす・・・?」
『私も悪魔ですからね。これくらいの芸当は出来ますよ』

 造作もないといった口振りが、相変わらず耳に直接聞こえて来る。どういうことかよく解らなかったが、とりあえず話を先に進める。

「で、辛味亭がどうかしたんですか?」
『私もよくは知らないんですがね、多分、その娘の両親を探す手掛かりが見付かると思いますよ―――っと、そろそろ時間ですね。すいませんが、後を頼みます』
「え?あ、ちょっと!悪魔さんっ!」

 僕は虚空に向かって叫ぶが、もう返事が返ってくることはない。これまたよく解らないが、タイム・アウトということらしい。

 しかし、辛味亭か・・・何かあるのか?

 辛味亭というのは、この地域では少し名の知れたラーメン屋のことだった。アーケード内に店舗を構えていて、確か、ここから少し行った所にある筈だ。

 とりあえず、行ってみようか・・・。

 僕は、一緒に家を探そうと言ってカナちゃんを説得し、その場を立たせると、その小さな体を背負って―――おんぶしてとせがまれれば頷くしかない―――混みあう大通りをまた歩いていく。

 負ぶさるその体は、羽の様に軽い。ちゃんとカナちゃんがいるのか、不安になるくらいに。

「危ないから、しっかり掴まっててね」

 首を巡らせて、カナちゃんに注意を促す。だが返ってきた答えは、うん・・・という生返事。

 カナちゃんは横を向いて、ある一点をじっと凝視していた。何だろうと思ってその目線の先を追い、そして合点がいく。

 男の子と、その両親。微笑みあいながら、三人連れ立って歩くその姿を、カナちゃんはじっと見詰めていた。多分、外食でもしてきた帰りなのだろう。この近くには、美味しいと評判の店が結構ある。

 そしてその帰りに買ってもらったのか。男の子の腕の中には、綺麗にラッピングされたプレゼントの箱が大事そうに抱えられていた。

「・・・・」

 カナちゃんは何も言わない。ただ黙って、赤くなった目に笑顔をたたえる家族を映している。そこにいる少年に、自分の姿を投影しているのかもしれない。

 その横顔が本当に寂しそうで、気付けば僕は、自分でもよく解らないことをカナちゃんに尋ねていた。

「君は、クリスマス、好き?」
「え?」

 不意の質問に、小首を傾げるカナちゃん。でもすぐに質問の意味を理解すると、好き、と呟くように答えを返してくる。

「どうして?」
「えーとね・・・・ケーキ食べれるし、それに、サンタさんがプレゼントくれるから」

 子供らしい正直な答えに、思わず頬が緩む。僕にもこんな時期があったのかと思うと、何処かむず痒くも感じる。

「そっか。じゃあ、早く家に帰らないとね。きっと、パパとママがケーキを用意してくれてるよ」
「そう・・・?」
「ああ。きっとだ」

 力強く肯定してあげると、カナちゃんはやっと少し表情を明るくして、うんっ、と頷き返してくれる。最近では珍しいくらい、素直でいい娘だと思う。

 やがて、悪魔さんが指定した辛味亭が見えてきた。クリスマスにラーメンという、元剣道部の乙女を連れて行けば殴られそうな、そんな俗っぽさをもろともせずに、人々は今日もこの店に並んでいる。相変わらずの繁盛っぷりだ。

 ここに何があるんだ・・・・?

 手掛かりになりそうな物を探して辺りを見回す。だがそこには何時もの風景が広がっているだけで、それらしい物は何処にも見受けられない。

 困ったな、と溜息をついたその時、カナちゃんが出し抜けに大きな声を上げる。

「かー君だ!」
「かー君・・・?ああ、あれか」

 店の前に置かれている一メートルくらいの人形。それはかー君と呼ばれる、ラーメン鉢を擬人化した辛味亭のマスコットの人形だった。

「あれ、知ってるの?」
「うん。ママと買い物に来るときに、いっつも見るもん」

 ・・・・成る程、これは大きな手掛かりだ。

「ここから、どう帰るか判る?」
「うんっ。えーっとね、向こうに行ってね―――」

 不安が拭い去られたためか、カナちゃんは急に元気になると、足代わりである僕に、右に左にと、澱みなく指示を出してくる。この分なら、もう迷うことはないだろう。

 アーケードを出ると、わぁっ、とカナちゃんが歓声を上げる。見上げる先は、雪の舞い落ちる夜空。風はないが、雪はさっきよりも多くなったように思える。子供なら、誰もがはしゃぐ量だ。

 そんな少女に自分のしていたマフラーをかけてあげ、はしゃぎ過ぎないようになだめながら、僕の足は、普段僕が行かない方向へと歩みを進んで行く。確かこの先は、新興住宅地が広がっている。

『上手くいったようですね、前原さん』

 また唐突に、悪魔さんの声が聞こえてくる。相変わらず、彼の姿は見当たらない。

「ハハ・・・まぁ、なんとか」
『私の方の用事も済みましたよ。近くに公園があると思いますので、そっちに向かって下さい。ご両親も向かってますから』

 そしてまた、一方的に声は途切れる。

 やれやれ、と僕が溜息をこぼすと、誰と話してたの?とカナちゃんが不思議そうに訊いてくる。

「あー・・・サンタのおじさんと話をしてたんだ。サンタさんが、カナちゃんのパパとママを公園まで連れてきてくれる、って言うから」
「ほんと!?」
「ああ、本当だ」

 サンタというのは咄嗟についたごまかしでしかなかったが、成る程、今のカナちゃんにとっては、悪魔さんをサンタクロースと言っても差し支えないかもしれない。赤いか黒いかの違いだけだ。

「この近くに公園はある?」
「うんっ。右にまがって、まーっすぐに行ったらあるよ」

 カナちゃんの言葉に頷くと、僕は揺れぬように気を付けながらも、出来るだけ早足でその公園へと向かう。ここまで来たら、早くこの子と、両親を会わせてあげたかった。

 やがて見えてくる、背の高い遊具。それを見てカナちゃんが、あそこ!と指をさす。僕はついには走り出し、白い息を肩で切りながら、公園へと滑り込んだ。

「ふぅ・・・・やっと、着いた・・・」

 少しはりきり過ぎた。僕はカナちゃんを下すと、下を向いたまま軽く乱れた息を整える。

 親御さんはいるだろうか?

 そう思って僕は顔を上げる―――その前に、誰かとカナちゃんの声が、同時に、夜の公園に響く。

「パパッ!ママッ!」

 僕のマフラーを引きずりながら、カナちゃんが一人駆けていく。その先には、両親と思しき二人の姿。

「よかった!心配したんだぞっ!」

 父親が、胸に飛び込んできたカナちゃんを抱き上げ、大きく持ち上げる。横にいた母親も、よほど心配していたに違いない。髪をくちゃくちゃになるぐらいに撫ぜながら、残る手で顔を覆っている。

 カナちゃん一家の再会は、どうやら無事に叶ったようだった。

 一件落着、ってところか。まぁ何にせよ、よかったよかった・・・。

 やがて再会を喜び終えると、カナちゃんの家族三人は、見守っていた僕の方へとやって来る。僕が、どうも、と一礼すると、父親の男性が笑顔で話しかけてきた。

「貴方が、前原さんですか?」
「え、あ、はい。そうですけど、どうして名前を?」
「言っても信じてもらえないかもしれませんが・・・娘を探してあちこち駆けずり回っていたら、突然声が聴こえたんです。前原という男の人が、娘をここに連れてきてくれている、と」
「ほんと、おかしな話なんですけどね」

 カナちゃんと同じように、目を赤くした母親が笑う。

 多分、悪魔さんの用事はこれだったのだろう。僕が女の子をこっちに連れてくる間に、彼は両親を誘導してくる。そうして引き合わせれば、万事解決ということだ。

「それは、きっとサンタさんのだよ」
「ああ。きっと、そうだろうな」

 カナちゃんの言葉に、その場の全員が、笑顔で頷いた。

 それから、これでもかと言うくらい僕にお礼を言って、カナちゃんの一家は本来のクリスマスの夜へと戻って行った。カナちゃんは少しぐらいは叱られるかもしれないが、それでも、彼女の望んでいた楽しい時を過ごすことが出来るだろう。

「よかったですね、前原さん」

 何時の間にか隣に悪魔さんが立っていたが、僕はもう驚かない。彼はれっきとした悪魔なのだから。

「少し疲れましたけどね・・・」

 ハハ、と苦笑しながら言う。色々気を揉んだりして疲れていたが、でも、不思議と体も心も軽かった。心地良い疲労感、というやつだろうか。

「私はね、クリスマスが嫌いですよ、前原さん」

 カナちゃん達が去っていった方を見詰めながら、悪魔さんが口を開く。

「にっくきキリスト教の祭日ですからね。私達悪魔にとっては、厄日仏滅もいいところです。でもね―――」

 ふっ、と言葉を切り、悪魔さんは――本当に悪魔らしくない――優しい、柔らかな笑みを浮かべて言葉を繋ぐ。

「―――折角のめでたい日だって言うんなら、皆が幸せになって欲しいもんです」
「悪魔さん・・・」
「ハハハ・・・夢物語ですがね」

 照れくさそうにごまかす悪魔さん。でも、もし本当にそうなら、どれだけいいだろうと思う。

 誰もが幸せで、そしてこの人も、今日という日を幸せに思えるようになれば。

「すいません、前原さん。折角のクリスマスだっていうのに、私のために時間を割かせてしまって」
「いいんです。どうせ、一人で寂しく、ラーメンすすってるだけでしたからね」

 それもある意味では幸せですよ、と悪魔さんは言う。確かに、何も起きないという意味では平和で幸せかもしれない。

「でも、まだクリスマスは終わってませんからね。何かあるかもしれませんよ?」
「まさか。ここまで来れば、後は寝るだけですよ」

 少し早いかもしれないが、サンタクロースも、そろそろプレゼントを配り始める準備をしているかもしれない。トナカイも、今は精力のつく餌を食べて、ライト代わりの赤鼻のチェックに腐心していることだろう。

「では、私はそろそろ行かなければならないので、これで」
「行っちゃうんですか?」
「実はついさっき、仲間から応援を頼まれましてね。韓国の方へ急遽行かねばならないようになりまして」
「あぁ・・・あそこは日露戦争前の名残で、クリスチャンが多いですからね」
「ええ。高級キムチを用意してるから、さっさと来い、だそうです」

 まだ、話をしたいことは一杯あった。でも彼も忙しい身なのだろう。引き止めるのはよくない。それに、今生の別れという訳でもないのだ。また会えばいいし、会える気がしていた。

「じゃあこれで。また、よかったら遊びに来てください」
「ええ。今日は楽しかったですよ、前原さん。今度はキムチをお土産に持ってきますよ」

 では、メリークリスマス。

 その言葉を残して、悪魔さんのその黒い姿は、闇に溶けるように消えてしまう。まるで初めから、そこにいなかったかのように。後は、降り積もる雪の上に、足跡があるだけだ。

「さて、どうしようかな・・・・」

 ・・・暫く、こうしていようか。

 そう思い空を仰ぐ。だがそれと時を同じくして、ポケットの中の携帯がやかましく音を立てる。

 誰からの電話だ、とまた独り呟きながらディスプレイを見ると、そこには、僕を裏切って合コンに行った友人の名前が表示されていた。

「はいはい、もしもし」

 とりあえず通話ボタンを押してみると、途端に、スピーカーから大音量で、情けない野郎共の声が雪崩れてくる。

『前原ぁぁぁ〜〜〜』
「どうした。裏切り者のユダ」
『それがよぉぉ・・・・うぅっ』

 それから延々と流れてきた話をまとめると、どうやら合コンは見事に失敗したらしい。色々あったようだが、馬鹿らしすぎてコメントする気にもならない。

『浩二の奴がいきなり下ネタ振りやがるから・・・』
『ふざけんな!お前が日露戦争について延々と語り出すからだろうが!』
『俺はどっちも原因だと思うけど?』

 相変わらず、電話の向こうでは醜い争いが続いている。余程仲がいいんだろう。

「じゃあ、楽しそうだから切るな」
『ちょっ、ちょっと待て前原!俺は今からそっちに行くから』
「は?何で」
『こんなバカアホマヌケには付き合ってらんねぇ。酒持ってくからさ、一緒に飲もうぜ。そして傷心の俺を優しく慰撫してくれ』
「キモい」
『あぁ悪かった悪かった。取り合えずそっち行くからな。酒の肴、用意しといてくれよ』
「お、おい、ちょっと―――」

 ブチッと通話の切れる音が、僕の言葉を一方的に遮る。そしてまた、さっきまでの静寂が返ってくる。でももうそこに、身を委ねようという気はなくなっていた。

 もしかしたら、悪魔さんがこうなるように、手を回したのかもしれないな・・・。

 何が起こるか判らない、という言葉を思い出す。結局起こったのは、ロマンの欠片もない出来事だったけど、それでもまぁ、ないよりはマシだ。

「じゃあ、スルメでも買って帰ろうかね」

 舞い落ちる雪の冷たさを楽しみながら、僕はその場を後にした。


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