《慰撫の夜》

〔T〕




 12月24日って何の日?―――と問われれば、だいたいの人がクリスマス・イヴと答えるだろう。無論、僕もその一人である。

 師走ももう終わろうかという今日この日が、そのクリスマス・イヴだ。街は煌くイルミネーションと、羨ましいかな身を寄せ合う恋人達に彩られ、赤い服を着た人がチラシを配っていたり、うず高く積まれたケーキを売りさばいていたりと大忙し。

 そして僕はと言えば、お前だけはと信じていた友人にも裏切られ―――合コンだとかなんとか―――テレビが点いたアパートの一室で、ずるずると一人虚しくカップラーメンをすすっていた。

 ちなみに今食べているのは、普段食べている物より少し豪華なチャーシュー増量バージョンだ。自分へのクリスマス・プレゼントと、さっき買い出しに行ったついでに買ってきたのだ。

「いやーしかし、薄っぺらい乾燥チャーシューが増えたところで、何の変化もありゃせんね。HAHAHA」

 身も蓋もないことを呟きながら、僕は何故かしょっぱいラーメンを事務的に胃袋の中へと放り込んでいく。もっと味わって食べようと思っていたが、そんな気はとうに失せていた。こんなぼったくり商品二度と買うものか、あのクソ会社め。

 そんな程度の低い悪態をついていると、ピンポーン、と鳴らされたチャイムが部屋に響く。

 一体誰だろうか?知り合いはだいたい各々の用事があった筈だし、僕にはケーキを作って来てくれる彼女なんていない。となると、この寂しさに漬け込もうとする悪徳業者のセールスマンだろうか。

 だとしたら面倒だ。ただでさえ気分の悪い所を、さらに害されても困る。外道セールスマンにはさっさとお帰り願おう。

「はいはい。今出ますよ」

 適当に返事をしつつ対策を考えながら、ドアを開け、来訪者の顔を出迎える。

「どちらさんで―――」
「いゃあ、どうもこんばんは。こんな日にすいませんね」

 にこやかに、そしてやけに馴れ馴れしく挨拶をしてくる来客。僕は失礼とは思いながらも、頭のてっぺんからつま先まで、目の前の客をまじまじと見て、そして尋ねる。

「あのー・・・どちらさんでしょうか?」

 突然の来客は、あまりにも怪しい身なりだった。

 今時、売れないマジシャンしか持っていないような黒いシルクハットかぶり、その長身には黒革のロングコート。靴も手袋も黒革製で独特の光沢を放ち、黒いマフラーに半分隠れた男と思しきその顔も、漆をブチ撒けたかのように真っ黒だ。

 こんな露骨に怪しい奴は、喜ばしいことに僕の知り合いにはいない。

「部屋を間違えたんじゃないですか?」

 きっとそうだ、と半ば祈りながら目の前の男に言ってみる。だが男は、笑顔でいいえとかぶりを振る。

「貴方であってますよ、前原貴史さん」

 前原貴史。

 それは確かに、僕の名前だ。一字一句違いはない。ということは、本当にこの面倒臭そうな黒い物は、僕への客なのだろうか。

 訝しむ僕を置いて、黒い男は話を進める。

「実は私、いわゆる悪魔というものでして。つい二ヶ月ほど前に、この極東の国に着たばかりなんですがね」
「・・・・ほうほう、悪魔さん」

 とりあえず、とりあえず僕は頷いておく。

「ええ。もとは私、アメリカ生まれなんですがね。イラク戦争の失敗によるキリスト原理主義の活発化で、最近あまりにも私達に対する迫害が酷くなりまして。ついに耐え切れなくなってこの日本に着たんです。かねがね、良い国だという噂を耳にしておりましたので」
「そうですか。ここはいい国でしょう?」
「ええ、とても。料理もおいしいし、綺麗な水がタダで飲めますし」

 シルクハットのつばの奥で、男の目が笑う。だが次の瞬間、男の目は悲しみに潤む。

「・・・・ところが、ところがです。十二月に入って、私は悪夢の中にいるんじゃないかと思いました。何故って、仏教圏の筈のこの国が、国を挙げて盛大にクリスマスを祝おうとしてるじゃないですか!キリスト教の行事を!」

 ぶわわっ、と涙を流しながら吼える男。大柄に似合わず、涙腺は緩いらしい。

「そして迎えた今日。危惧した通りに、何処へ行ってもジングルベルで鈴が鳴り、赤鼻のトナカイが跳梁跋扈。忌むべき教会は降誕祭で大賑わいし、響き渡るは神の賛美歌。私は、絶望感に苛まれながら街を歩いていて――――そんな時でした。前原さん、貴方から確かなオーラを感じたのは」

 がしっ、と僕の両手を握り締め、キラキラとまるで夢見る乙女のような眼差しで見詰めてくる黒男。

「貴方はこの賑わう街の中で、一人今日という日を憎んでいた!つまり、私達は同志!さあ共に語り合いましょう!クリスマスへの、妬み嫉み僻み辛みを語り明かしましょう!貴方のその暖かな部屋で―――げふんっ!」

 怒りで威力20%増し(当社比)のキックを無防備に受け、ゴロゴロとアパートの廊下を転がってく黒男。衝撃で宙を舞ったシルクハットが、少し遅れて持ち主の隣にぽすんと落ちる。

「いい加減にしやがれこの変態野朗が!何売りつけにきたか知らねーが、セールスはお断りだってドアにシール貼ってるだろうが!二度と来るんじゃねぇぞ!」

 痛みにぴくぴくと悶えるその巨体に、FUCK!と中指を突きたてて、僕はドアを乱暴に閉める。そして、男がちゃんと何処かに行くか確認するために、聞き耳を立てる。

 だが、暫くしても男の動く気配がない。手荒く扱ったこともあって少し気になり、僕は開けたドアの隙間から、男の様子を盗み見る。

 そこには、冬の冷たい北風を受けながら、脱げたシルクハットを手に、四つん這いの状態で震える黒男の姿があった。

「うう・・・・折角、同志に巡りあえたと思ったのに。やはり人間と悪魔、分かり合うことは無理なのでしょうか・・・」

 ぽろぽろと涙を流しながら、声を震わせて呟く男。その様子はとても演技には見えなくて、何だかすごく、自分が悪いことをしてしまったような気分になってくる。

 ・・・いくら何でも、やり過ぎたかな。

 今時、子供でも信じないような嘘をついて取り入ろうというその魂胆は気に入らなかったが、考えてみれば、あの人にも色々と事情があるのかもしれない。それを考慮せず、怒りに駆られるまま蹴り飛ばしてしまったのは、あまりにも早計で、酷い仕打ちだ。

 ・・・話を聞くぐらいなら、いいかもしれない。どーせ金もないし、クーリングオフだってある世の中だ。

「あの・・・」

 上からの思いがけない声に、ハッと顔を上げる黒男。

「外は寒いですから、よかったら、家に・・・」
「ほ、ホントですか!?」
「え、ええ。お詫びと言ってはなんですが」
「い、いえ、とんでもない!」

 黒男は僕の言葉に喜び勇んで立ち上がると、コートに付いた埃を払うのも忘れて、涙を溜めた目尻を拭う。

「いや・・私も長いこと悪魔をやっておりますがね、こんなに優しくしてくれるのは、貴方が初めてだ・・・っ!」
「そんな大げさな・・・さ、こっちへ。狭いですが」

 黒男の手を引き、開いたドアを示す。黒男は僕の顔を見て、もう一度涙を拭うと、おじゃましますと丁寧に言って、靴を履いたまま部屋へと入っていった。

「ちょ、靴は脱いで!」
「え?ああ、すいません!どうも長年の習慣ってやつは抜けなくて」

 ハハハと気恥ずかしそうに笑って、シルクハットを取った頭を掻く黒男。

 ・・・・どうやら、外国生まれというのは本当らしい。



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