《慰撫の夜》

〔U〕




 「いやはや、どうも。家に上げていただいただけでなく、このように持て成しまでしていただいて・・・」

 外套を脱いだ悪魔さん――取り合えずこう呼ぶことにした――は、僕が出した緑茶の香りを楽しみながら、にっこりと微笑む。

「私はアメリカ生まれで――ああ、これはさっきも言いましたか。まぁそういう訳で、生きてきた大半を紅茶で過ごしたんですが、この緑茶というものも中々いいものですな」

 ずずず、と音を立てながら嚥下されていく緑茶。僕もそれを見ながら、自分の湯のみをずずずと啜る。

「しかし、前原さん。日本の方々はキリスト教徒でもないのに、どうしてこんな派手に、クリスマスを祝うんですかね?」

 テレビの画面を見ながら、悪魔さんがぼやくように言う。おんぼろの小さいブラウン管に映し出されているのは、都内に設置されたバカでかいクリスマスツリーと、クリスマス商戦真っ只中の、百貨店や商店街の風景だった。どう見たって、クリスマスを祝っているようにしか見えない。

 僕からすればいたって普通だが、日本という国のことをよく知らなければ、確かに理解し難い光景だろう。

 かと言っていざ説明するとなると、中々難しい話だ。

「えぇと、それはつまり、日本人は皆、クリスマスはただのお祭りだと思ってるんですよ」
「お祭り?」

 そうそう、と僕は頷く。

「何時ごろからこうなったのかは知らないですけど、日本人の大半はこれに宗教的意味なんて感じちゃいませんよ。子供にいたっては、ただプレゼントがもらえる日っていう認識ですよ、きっと」

 僕の子供時代に関して言えば、少なくともそうだった。誰が生まれたとかなんて、幼い日の僕にははっきり言ってどうでもいいこと。ただ純粋に、白いひげのおじいさんからプレゼントをもらえる、その日の到来が嬉しかったのだ。

「成る程、サンタクロースですか。あのじい様は、子供達に大人気ですからね。私達とはえらい違いですよ・・・」

 しみじみと言う悪魔さん。何か慰めの言葉をかけようと思ったが、どうしたってフォローにならないのでやめておく。

 そのまま無言でテレビを見詰めていると、そう言えば、と悪魔さんが呟く。

「どうかしました?」
「ああ、いやね。日本人は信仰心に欠けていると、向こうの人間が言っていたのを思い出しましてね。あと出っ歯にメガネで、何時もカメラを首からぶら下げてるって。そこの所はどうなんですか?」

 出っ歯にメガネにカメラって、何時の時代の日本人だよ・・・。

 僕は内心苦笑しながら、その問に答える。

「メガネに出っ歯はただの偏見ですけど、信仰心がないってのは、確かかもしれませんね」
「そりゃまた何で?」
「何でって言われても・・・」

 うーん、と唸りながら、ない脳ミソをしぼって考える。

「色々あるんでしょうけど・・・原因の一つとして、太平洋戦争があるんじゃないですかね」

 当時、日本の崇拝を一身に集めていたのは、その頃はまだ神格化されていた天皇だった。軍部はそれを巧みに利用し、臣民を悲惨な戦火へと導き――少なくとも、そういうことになっている――そして無残な敗戦を迎えた。

「だから、日本人は心の何処かで、信仰を利用されることを恐れているんじゃないですかね」

 たどたどしくそう結論付けると、悪魔さんは感心したように、ほぅと声を上げる。

「なるほど、そういう考え方がありますか・・・確かにあれは酷いものでしたからね」

 当時を思い出しているのか、彼は何処か遠い目で語り出す。

「太平洋戦争も含めた第二次世界大戦は、我々悪魔も固唾を呑んで、その趨勢を見守っていましたよ。こういうことを言うと気分を害されるかもしれませんが、賭博の対象としては最高のゲームだったんです」

 戦争の結果を賭けて、か・・・悪魔らしいと言えば、悪魔らしい。勿論、人間の中にだってやってた奴はいただろうけど。

「枢軸国か、連合国か・・・もっとも、長靴のせいでゲームは割とあっけなく決しましたけどね。あれがでしゃばらなきゃ、まだ勝負は判らなかったんですが・・・」

 おそらく、目の前の悪魔さんは枢軸国側に賭けていたのだろう。少し顔の影を濃くして残りのお茶を全部飲んでしまう。

「すいません、おかわりもらえますか?」
「ああ、はい。どうぞ」

 急須から、湯気を立てつつ注がれていくお茶。その流れを見守りながら、今度は僕が悪魔さんに質問してみる。

「悪魔さんって、どんな生活してるんですか?」
「と、言うと?」
「いや、悪魔って言う訳には、何だか普通の人と変わらないみたいだから・・・」
「・・・・ははん」

 僕の質問の意図を理解し、そして何かを汲み取ったのか、悪魔さんは口の端を歪める。

「前原さん。あなた、悪魔っていうとエクソシストに出てくるようなものだと思ってませんか?」
「ハハハ・・・ずばり、その通りですね」

 当時子供だった僕を震え上がらせるには十分だった映画、エクソシスト。そこに出てきた悪魔は、少女にとり憑き、罵詈雑言を吐き散らかし、散々暴れて、最後には悪魔祓いによって再び地獄へと落ちていった。

 そこに描かれていたのは、まさしく宗教絵画に描かれているような、おぞましい姿だった。

 だが、目の前の悪魔さんはそれとは大きく異なる。容姿を考慮しなければ何ら人間と変わりない。味覚も共通しているようだし、言葉も流暢に喋る。

「あれが一般的な悪魔のイメージってのは、ちょっと悲しいですよ、私は・・・」

 曇ったガラス窓の向こうを見ながら、言葉通り、悪魔さんは悲しげに言う。外は何時の間にか、かなり吹雪いていた。ホワイトクリスマス、なんて単語が頭をよぎるが、そんなロマンチックな雰囲気を簡単に吹き飛ばしてしまうくらい、勢いは強い。

「そりゃ、悪戯レベルのことをする奴はいます。でもそれは天使の奴等も同じだし、あれはやり過ぎですよ。私の知ってる限り、誰もあの映画みたいなことはしやしません」
「・・・悪魔は、人間を堕落させるのが目的じゃないんですか?」

 それが、普通の人の、悪魔に対する認識というものだ。だが不味い事を言ってしまったのか、悪魔さんがその目を、キッと鋭くしてこちらに向ける。

「それは、権威を高めようとする教会の極悪質なプロパガンダですよ、前原さんっ」
「は、はぁ・・・」
「貴方も覚えがあるでしょう?何処ぞの三馬鹿による、言われなき誹謗中傷。教会のやってることは、あれをさらに悪質化したものなんですよっ!」

 いきなり強まった語気に、オロオロとうろたえる俺。そういえば友人にも、この手の話になると急にムキになる奴がいたっけ。きっと同じ心境なんだろう。

「だいたいですね―――」

 流石に悪魔と言うべきか。彼の教会に対する恨みは半端じゃないらしく、批判はまだまだ、確かな怒りを持って続く。仕方がないので僕は適当に相槌を打っていたが、暫くして、悪魔さんは不意に立ち上がる。

「外に行きましょう、前原さん」
「え・・・?」
「いいもの、という訳ではありませんが、少し見せたいものがあるんですよ」



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