《U》





「ふん……っ!」

 ビュン――!

 響く鋭い風切り音。それは剣が裂く大気の音。一度、二度、三度――緑が茂る教会の裏庭で、俺は気合を込めて剣を振るう。長年聞いていれば音の良し悪しで、自分の状態も自然と解ってくる。こうして剣を振るのは、ここ何年に渡っての朝の日課だった。

 心配していた腕は問題なく動き、操られる剣は、イメージした敵を鋭利に切り刻む。満足のいく体のキレに、思わず笑みがこぼれる。朝から少しはりきり過ぎたためか、額には汗が滲み始めていた。

「ふぅ……」

 日課を終えて一つ息をつき、そこら辺から拝借してきた剣を鞘に収める。それを近くにある木に立てかけ、自分もその太い幹に背中を預けるように座り込む。朝の涼しい空気が、火照った体に気持いい。

「レオンさーんっ!」

 遠くから、エリスの呼ぶ声が聞こえてきた。朝、部屋に入ると誰もいなかったので、心配になって探しに来たのだろう。一言断っておけば良かった。

 かと言って、寝ているところをわざわざ起こすのもな……。

 そんなことを思いながら、剣はそのままに声のする方へと歩いていく。

「レオンさーんっ!」

 もう一度声を上げた直後、教会の入り口前にいたエリスが向かってくる俺の姿を見つける。一瞬安心して緩んだその顔だったが、それはすぐに、ご立腹の膨れっ面に変わる。

「もうっ、何やってるんですかっ」

 非難の声を上げるエリス。

「いや、ちょっと朝の散歩をな……」
「……その割には、随分と汗をかいているようですけど」
「う……っ」

 鋭いご指摘に言葉が詰まる。もっとトロい奴かと思っていたが、意外と目ざといようだ。

「ちょっとした朝の運動だ。寝てばっかりで、体が鈍っていたからな」
「……はぁ」

 俺の苦し紛れの言い訳に、しょうがないなぁ、といった感じのエリスため息。

「気持は解りますけど、レオンさんは怪我人なんですから、あまり無茶な運動はしないで下さい。傷に響きますよ?」
「ははは……ケガ人、ね」

 ごまかすように、乾いた笑みを浮かべる。

 一番気になっていたのはそのケガのことだった。

 さっきの日課でも判ったことだが、今の俺の体は万全に近い。体にだるさは全くなく、技も冴えている。この体調の良さはやはり異常だ。 宣教師と同じく各地を転々とし、仕事を請け負う冒険者である俺は、体が資本。体調管理には特に気を付けていたので、それがよく解る。

 無論、調子が良いことに越したことはない。しかし自分の身に何か妙なことが起こったのではと考えると、あまり良い気分ではないのだが――、

「あ、それよりも朝ご飯です。レオンさん、食欲はありますか?」

 ――やはり、気にし過ぎだろうか。

 朝ご飯やら食欲やら平和な言葉を聞いていると、考えるのが馬鹿らしくなってきた。今回のことは、僥倖(ぎょうこう)程度に思っておけばいいのかもしれない。

 エリスの言葉の通り、そんなことよりも朝飯だ。最近まともに食っていないせいか、腹と背がくっつく思いである。

「大丈夫だ。むしろ、早く食いたい」
「ふふっ、寝てる間は食べれませんからね」

 じゃあすぐに用意します。戻った笑顔でそう言い残し、教会の中へと戻っていくエリス。

 俺はその後も暫く体を動かしていたが、漂ってくる調理の匂いに堪えきれずキッチンへと向かい、散々つまみ食いした挙句、エリスより味見係の任を賜った。

 そして、久し振りのまともな朝食。パンとスープ、あとはサラダといった簡素なメニューだったが、じっくり煮込まれたスープは空腹によくしみ、戦場や野宿では味わえない、旨味と温かさがあった。

「これこれ若いの。そうがっつくでない」
「いや、こんなにまともなのを食べたのが久し振りで……」

 弁明する間にも、俺の胃には次々と食べ物が流し込まれてくる。我ながらみっともない姿だったが、人間食欲には勝てないものだ。

「まだまだありますから、お代わりして下さいね」

 にこにこと、屈託の無い笑顔のエリス。その笑顔が、一瞬、妹分だったレナと重なる。

 ……どうしているのだろうか、レナは。

 レナとの付き合いは長い。赤子の頃の、まだ四足歩行をしていた頃からのものだ。何処にでもあるようなありふれた村で、同じように生まれ、同じように両親をなくし、そして剣術の鍛錬を積んだ後に、同じ冒険者として旅に出た。

 時には要人の警護をし、時には傭兵として戦場に赴く。こういった仕事がなければ、町に転がっている雑用をこなす。そうして生計を立てる暮らしをしてもう三年になるが、離れ離れになるなんてことは初めてだった。おそらくレナは、戦場を脱出することには成功しただろう。だが俺のことを探し回っているに違いない。あいつを安心させるためにも、早く合流してやりたかった。

 そのためにも、傭兵として俺達が参加した、北国との戦いはどうなったのか、情報が欲しかった。

 折しも、今日は祝日。昼に近付くにつれ、教会には多くの村人達が集まり、ゴードン神父やエリスもその職務に追われている。だが、忙しいのはエリス達のような聖職者だけだ。だいたいの人は、仕事を休み、のんびりとしている。町に出ている人も少ないだろう。

 訊く対象は、たくさんいる。片っ端から訊いていけば、どれかには当たるだろう。そう考え、老若男女を問わず文字通り手当たり次第に訊いて歩いたのだが、結果は散々たるものだった。

「……疲れた。畜生、何なんだこの村は……」

 思わず悪態が口をついて出る。所詮は辺境のド田舎。戦とは果てしなく無縁なこの村で、平和ボケしたここの村人からは、有力な情報など得れよう筈が無かったのだ。

 この村でのこれ以上の成果は望めない。なるべく早くここを発って、どこか大きい町で情報を収集する必要があった。

「よし……っ」

 そうと決めてしまえば、善は急げ。俺は早速、荷造りにとりかかる。何時もとは違い、今回は一人旅だ。しかも厄介ごとに首を突っ込むわけではないので、装備は必要最小限でいい。

「こんなものかな……」

 必要な物を揃えて帰って来ると、教会の庭に子供の輪が出来ていた。その中心にいるのは、聖書を持ったエリスだ。

「エリスおねえちゃん、お話きかせて!」
「わたしも!わたしも!」
「解りました。じゃあみんな、座って静かにしてくださいね」

 はーい! と響く子供の唱和。どうやら今から、聖書の話を読み聞かせるらしい。

「用事は済んだかね?」

 背後からの声に振り向く。そこにいたのは、ゴードン神父だった。

「あいつは、随分子供に人気があるみたいだな。」

 エリスの方に向き直る。それを見てゴードン神父は、ほっほっほと何時もの笑い声を上げる。

「エリスはな、聖書を子供に呼んで聞かせるのが得意なんじゃよ。説話というのは子供に解りにくい話も多いが、あの子は子供が理解しやすいように、噛み砕くコツを心得ておる。若いのに、たいしたものじゃよ……」

 出来の良い孫を誇るように、ゴードン神父は言う。聖書の話か。小さい頃にいくつか聞いたような気もするが、もう一つたりとも、確かに思い出せない。

「時に若いの。お主は、神を信じておるのか?」
「……何だよ、藪から棒に」

 出し抜けの問に、俺は思わず冷たく言い返す。

「なに。ただ気になっただけじゃよ」

 気になっただけ、ね……。

 だがその軽い言葉とは裏腹に、ゴードン神父の顔は真剣そのものだ。その奥の沈んだ目に心を見透かされているようで、俺は思わず顔を逸らしてしまう。

 ――嫌なモノが、一瞬、脳裏をかすめる。

「……神がいるなら、俺はこんな所にはいない」

 だから、そう言うのが精一杯だった。

「ふむ……そうか」

 嫌な沈黙が訪れる。俺はそれから逃れるようにエリスの元へ歩み寄っていき、聞こえてくる彼女の声に耳を傾ける。

「――神様は、何処にでもいます。木にも、石にも、家にも、空にも。そして、信じるみんなの心の中にも」

 歌うように、奏でるように言葉を紡ぐエリス。その優しい声は、確かな慈愛に満ちている。

「苦しい時は祈ってください。神様を信じて、救いを求めてください。苦しむ人がいたら、その人のために祈ってあげてください。きっと神様は、助けて下さいます」

 眩しい。漠然とそう感じる。

 そのせいなのか。俺の口が、知らずの内に動いていたのは。

「苦しんでる奴が、神を信じていなかったら、どうする?」

 え? と声を上げて、エリスの方を向いていた子供達が顔を上げる。エリスも不意の声に一瞬驚いたようだったが、すぐにもとの笑顔に戻ると――、

「助けて下さいます。必ず」

 ――真っ直ぐに俺を見て、そう言った。


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