《U》




「それじゃあ、皆さんお元気で。また来ますねっ」

 呑気に挨拶をして出て行く聖職者と、案内される冒険者。まったくタイプの違う二人と、それを総出で見送る村人達。

 まだ薄暗い早朝の村は、中々に奇妙な光景を呈していた。

「なぁエリス」

 もう村が見えなくなった所で、俺はエリスに尋ねる。

「さっきの村には、何回も行ってるのか?」
「はい。訪ねる度に良くしてもらって。それに熱心な人も多いんです。ですから、お仕事の方もすごくし甲斐があるんですよ」

 熱心な、というのは、熱心な信者が多いということだろう。確かに祝日には多くの人が教会に来ていたし、生活も、教会の教えを忠実に守っているように見受けられた。

「平和そうな村だったな……」

 呟き、空を仰ぐ。

 端を僅かに朱に染めた蒼天を背に、悠々と飛び去っていく鳥の群れ。高く、呼応する鳴き声が朝の澄んだ空気を震わせる。こんな穏やかな気持で空を見上げたのは、随分と久し振りのような気がした。

 暫く山道を歩くと、今まで来た道が行く先で、五本の細い道に別れていた。その内の一本を、赤い矢印の立て札が示している。立て札には、目的地である町の名前が刻まれていた。

 当然、俺はその道を進もうとする。が、エリスがそれを止める。

「……こっちじゃないのか?」

 えらくニコニコしながら、首を横に振るエリス。

「実はこれとは別に、地元の人達しか使わない近道があるんです。そこを通れば、通常の三倍の早さで町に着けるんですよ」
「通常の三倍、ねぇ……」

 何となく胡散臭さを感じながらも、五本の内、一番細い道を進むエリスの後に付いて行く。

「案内人としての職務、全うさせて頂きます」

 張り切って進む案内人。俺の歩く先から、鼻歌さえ聞こえてくる。だがそのテンションの高さとは裏腹に、道はどんどん細くなってゆき、ついには藪に埋もれ、完全な獣道になってきた。

「おい、まさか迷ったんじゃないだろうな」
「もぅ、レオンさんは心配性ですね。すぐ開けた所に出ますよ」

 俺はとうてい信じられなかったが、実際は彼女の言う通りに開けた場所に出て、あとはそのまま、細い道がとうとうと続いていた。

 ―――凛。

 ん……?

 鼻歌と共に聞こえてきた鈴の音に、俺ははたと足を止める。何処から聞こえてくるのかと思ったが、何のことはない、エリスから聞こえていたものだった。よく見ると、クルミより少し小さいくらいの鈴が荷物に括りつけてあった。

「いい音だな、それ」

 素直な感想を述べると、ありがとうございます、とエリスは嬉しそうに微笑む。

「これ、母の形見なんです。私が小さい頃に亡くなったので、よく知らないんですけど」
「随分、物持ちがいいんだな」
「物心ついた時から孤児院にいて、私の持ち物なんてこれくらいしかなかったんです。だから、小さい時はずっとこの鈴の音ばかり聞いて遊んでました」

 孤児、か……。

「それで神学校を主席で卒業するなんて、お前、思ってたより凄い人間だな」
「レ、レオンさんまでそんなこと言わないで下さい! あれはたまたまで、私なんかよりもっと立派な方達がたくさん――」
「いいや。お前はすごい。その立派な方達ってのを押しのけて主席になったんだからな。よっ、未来の教皇! 中央国一!」
「や、やめて下さいってばぁ〜〜!」

 そんな他愛の無いやり取りをしながら山道を進み、日も傾き始めた頃。やっと俺達は、目的地の町の門をくぐった。

「ふぅ……通常の三倍でも夕方か。思ったより時間がかかったな」

 それでも、もし普通のルートを歩いていたら夜道を歩く破目になっていた。夜の山道ほど性質の悪いものはない。エリスに案内をしてもらって正解だった。

 だが、彼女とはここまでだ。おそらく彼女は付いて来ようとするだろうが、それは頑として断らなければならない。彼女自身にも言ったことだが、恨みを買って襲われるなんてことは珍しくないし、情が多少移ってしまったからこそ、そんな事に巻き込むわけにはいかなかった。

「あのなエリス……」

 その旨を伝えようとしたその時、

 くぅ……。

 酷く、間の抜けた音が聞こえた。

「……」
「……」

 ズン、と重く沈む空気。嫌な沈黙が辺りを支配する。

「……」
「……」

 エリスを見れば、顔を真っ赤にして、穴でも掘る勢いで俯いている。考えてみれば、昼飯もそこそこにずっと歩き通しだった。腹が減っても仕方ない。と言うか、俺もかなり空きっ腹だ。

「……腹、減ったな」
「え!? あ、ハイ! そうですねっ!」

 よほど恥ずかしいのか。声が裏返っている。顔はさらに紅潮し、今にも煙を吹いて卒倒しそうだ。

「くくく……面白いなお前」
「ひ、酷いですレオンさん!」

 非難の声を上げるエリス。だが俺の笑いは堰を切ったように止まらない。完全にドツボにはまってしまった。

「ハハハ――駄目だ、止まらん。悪い……!」
「〜〜〜〜!! もぅ知りません!」

 ぷい、と横を向いてしまうエリス。流石に笑いすぎたか。機嫌を損ねてしまったみたいだ。だが、たかが腹の音一つであそこまで面白い反応をするコイツが悪い。俺は言わば被害者だ。

「悪い悪い。いや、もう全然おかしくないから安心してくれ」
「涙を拭きながら言っても全然説得力ありません!」
「そう怒るなって。腹減ってるんだろ? 何かご馳走するからさ」

 パン、と手を合わせ、頭を垂れて謝罪の意を示す。

「……」

 じ〜〜と注がれる非難がましいエリスの視線。

 暫くそのまま。やがて、はぁ、と聞こえる溜息。

「……解りました。レオンさんの誠意に応えて許してあげます。決して、食べ物につられた訳じゃないですよ?」
「はいはい。解ってますって」

 機嫌も直ったのか、俺の言葉によろしいと頷く。

「それじゃあ行きましょう。美味しいもの、ご馳走してもらいますからね」

 俺の手を取り、暮れなずむ町中へと入って行く。その足取りは羽のように軽い。

 やれやれ……根はまだまだ子供だな。

 心の中で苦笑しながら、エリスに引かれるがままに町を歩いていく。予定外の出費だが、悪い気はしない。路銀を稼ぐ手段ならいくらでもあるし、助けてもらったお礼には安いくらいだ。

 適当に美味そうな所を見繕って入り、ウェイトレスに通されて席に着く。小綺麗な店で、夕食時という事もあってか、他の席もだいたいが埋まっていた。その後、適当に料理を注文し――エリスは随分と悩んでいたが――食べ始める頃には、町は夜の闇に沈み始めていた。

「おいしいですね、これ。このスープも野菜の甘さが効いてて――」

 エリスの話に相槌を打ちながら、窓のガラス越しに、外の景色に目をやる。それ程大きな町ではないが、大通りは夜になろうとしている今でも賑わいが続き、酒を飲んで上機嫌になった笑い声も聞こえてくる。

 あの村も。この町も。確かな平和に彩られている。

「――レオンさん? 聴いてますか?」
「え? ああ、聴いてるぞ、ちゃんと」

 感傷に浸るなんて、馬鹿馬鹿しい……。

 思考を止め、食事を再開する。妙なことを考えてしまうのは、隣にいる人間が変わってしまい、何時もと調子が違うからだろう。エリスとレナでは、まるで生きる世界が違う。俺も然りだ。

「……」

 ――そう、今感じているような怖気。これが俺の生きる世界だ。それは小汚いネズミのように、平和の間隙をぬって、すぐそこまで迫ってきていた。

 俺は慎重に、背後へと目をやる。少し離れた所のテーブルに男が二人。俺達を見るその眼は鷹の様に鋭く、肌で感じられるほどに確かな殺気を孕んでいる。まず堅気の人間ではあるまい。

 畜生が……ッ。

 心の中で舌打ちする。狙われる理由は、考えれば枚挙に暇が無い。前みたいな賞金首絡みか、俺に仕事を邪魔された商売敵の逆恨みとも考えられる。

「エリス」
「……どうか、したんですか?」

 俺のただならぬ語気を感じたか、エリスも食事を中断して、真剣な面持ちになる。

「どうやら、やっかいな奴等に目を付けられたみたいだ」
「……それって」
「ああ。後ろの男、二人組みだ――見るな」

 覗き込もうとしたエリスに釘を刺す。

「あの……それで、どうすればいいんでしょうか……?」

 俺自身その節が無かったと言えば嘘になるが、エリスも、こうはなるまいと楽観していたのだろう。彼女の表情は硬く強張り、声は微かに震えている。

「大丈夫だ。俺の言う通りにすればいい」

 力強く、諭すように言って落ち着かせる。恐怖に駆られれば、それは隙を見せることに繋がる。そうなれば奴等の思う壺だ。

「今更他人の振りをしても無駄だろう。ここをすぐに出て、裏道に入って奴等を撒く。そうしたら適当な宿に泊まって――先のことは、そこで考えればいい」
「……ごめんなさい。私のせいで」
「お前のせいじゃない。気にするな」
「でも――」
「いいか? 俺はお前に感謝してるんだ。だから謝るな」
「……はい」

 申し訳なさそうにうな垂れるエリス。少し言い方がきつかったかもしれない。だが、今やるべきはこんな問答ではない。彼女を無事に、日常へ還すことだ。

「行くぞ」

 短く言って立ち上がり、エリスもそれに続く。

 同時に、背後でも動く気配。狙いは俺達で間違いないだろう。寄ってきたウェイトレスにお代を渡し、早足に店を出る。そしてすぐに角を曲がって裏道に身を滑らせると、走って出来るだけ店から離れる。

 表の喧騒とは対照的に、静寂に沈んだ裏路地。そこに響く二つの靴音。逃げるため、ただひたすらに駆ける。

 そうして、どれだけ走ったのか。俺達は物陰に身を潜めると、今走ってきた道を覗き込む。

「……」
「誰も、追ってきませんね……」

 ふぅ、と二人から漏れる安堵の息。緊張の糸が切れたのか、エリスはちょっと泣きそうな、締まらない笑みを浮かべている。

 とりあえずは何とかなった。だが、これで終わった訳ではない。その場を動かぬようエリスに釘を刺してから、一人表通りへと出る。幸いあの男達の姿はなく、宿もすぐ近くにあった。

 同じ部屋に泊まり、これからのことを話し合う。

 明け方までここで休み、夜が明けたらここを出て隣町へと向かう。念のため、街道をそれて山道を通ることにする。辛いだろうから、お前は寝ておけ。この俺の提案を、エリスは二つ返事で了承し、言われるまま大人しくベッドに入った。こちらは徹夜で見張りだ。寝込みを襲われてはかなわない。

 まったく……やっかいなことになったな……。

 舌を打つ音が、狭い部屋に嫌に響く。

 長い夜が、始まりそうだった。


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