三章〜石の牢獄〜



 冷たく沈んだ朝の空気。暁の空を覆う木立は、俺達への光を阻むかのように枝葉を広げている。僅かな朱の木漏れ日が差し込んできても、森の朝の寒さは変わらない。その中で食べるパンはひどく味気なく、口の中で粘つくそれは喉に押し込むのさえ一苦労だ。

 横で座っているエリスも俺と同じように感じているだろう。やり過ごしたとはいえ、命を狙われた後は一概にこんなものだ。何とも言えない、虚ろな気持ちに苛まれる。

「――それで、一体あれは何だったんだ?」

 昨夜の事を――傷を一瞬で治してしまう光のことを思い出しながら、さり気なく訊いてみる。

 目の前で自分の身に起こった不可思議な現象。暫く経った今では信じ難いが、あれは紛れもない事実だ。何だか見てはいけないものを見てしまったようで気にしないように努めていたが、無理がある。

「……?」

エリスは俺の言葉に、暫く何のことかと考えていたようだったが、やがてぽんと手を打つと、いたずらっぽく微笑んで言う。

「手当て、と言えばいいんでしょうか?」
「……」

 そう言われては、返す言葉がない。

 そもそも手当ての語源は、手を傷口に当ててそれにより治療した、という所から来ているらしい。やはり信じられないが、コイツは語源通りのことをして俺の傷を治したのだ。

「何時から、そんなことが出来るようになったんだ?」
「……物心ついた時からです」

 視線を下にし、ぽつりと言う。

「母が亡くなった話は、しましたよね」
「あ、ああ……」

 確かその形見が、彼女の荷物にくくりつけてある鈴の筈だ。

「身寄りのなかった私は、教会に預けられていました。母が敬虔な信徒だったらしくて、、懇意にしてくれていた神父さんが私を引き取ってくれたそうなんです」

 とても優しい方だったんですよ。そう、笑顔で付け加える。細い指に遊ばれ、鈴が、りん、と優しく鳴る。

「この力に気付いたのは、預けられてから二年くらい後。神父さんが怪我をしてしまった時です。治療しないといけない。そう思ったら、あの光が現れたんです」

 光。全てを癒す蒼い光。

 河原に流れ着いた瀕死の俺を救ったのも、あの光なのだろう。エリスに見付けられなければ、俺は間違いなく死んでいた。胡散臭い霊薬妙薬とは根本的に違う、彼女自身が持つ力。

 それは彼女の言うとおり、神が与えし力なのか。それとも――。

「神父さんに、絶対人前では使うなって言われたんですけど。レオンさんには、知られちゃいましたね」
「……そうか」

 逃げるように立ち上がり、無理した笑顔を浮かべるエリスから顔を背ける。自分が渋い表情をしていることに気付いたからだ。

 胸の中がざらつくような、そんな漠然とした不快感。貝料理を食べていて、砂を噛んでしまった時に似ている。何故こんな気持ちを感じるのか。自分でも解らなかった。

「……とにかくだ」

 沸き起こる理不尽な感情を、振り払うように言って、エリスと向き直る。

「町で襲い掛かってきた奴等は、普通じゃない。向かってきた奴は全員倒したが、まだ仲間がいる可能性も否定できない」
「仲間が、もし残っていたら……?」
「さあな……だが、ここを探るとも限らない。さっさとここを発って、町に――何処か大きな街に入れればベストだな」

 それなら本来の目的である情報の収集も出来るし、街の治安を守る自警団もそれなりの規模になってくる。昨夜みたいな大胆な行動は、ある程度抑止される筈だ。

「大きな街……なら、大聖堂のあるゴモラの街があります」
「ゴモラか……」

 確か大聖堂は、国内でも一、二を争う巨大な建造物の筈だ。信者達にとっては聖地も同然らしく、毎日数多くの礼拝者が大聖堂を訪れるらしい。街の規模自体も申し分ない。

「大聖堂にはスクリュー司教様がいらっしゃいます。司教様に事情を話せば、暫くは匿ってくれる筈です」
「……さり気なく凄いこと言ってるな、お前」
「そうですか?」

 自覚なしというのは、良いのか悪いのか。

「それに、言っておくが俺は信者じゃないぞ」
「大丈夫です。教会は、困った人達に救いの手を差し伸べる場所ですから」

 暗に世話になりたくないという意思表示だったのだが、コイツには通じなかったようだ。

 教会――彼女が属するその組織は、古からこの地に根を張りその力を増してきた。その歴史はヘタな国家よりも遙かに深く、そしてその力は強大無比。近隣では一番の力を持つこの国の国王でさえ、代々教会のトップである教皇に逆らうことは出来ずに言いなり同然となっている。

 ただ噂によると、今の教皇はお飾り同然で、下部に位置する司教達の集まりに権力を握られているとのことだが……教会の力が強いことには変わりない。

 なんにせよ俺は教会とは関わりを持ちたくはなかった。

 だが、もしエリスの言葉通りそのスクリュー司教とやらが匿ってくれるのなら、エリスの安全は確保される。そうなれば、追っ手を気にすることなく俺は動けることになる。万が一襲撃を受けても、俺一人なら戦うなり逃げるなり出来る筈だ。

 何だ、一石二鳥じゃないか。

 教会に頼るのは癪だが、エリスを巻き込んだ自分の過失を購うためなら易いもの。頼るではなく、利用すると思えばいい。そうとなれば、善は急げだ。

「じゃあ行くぞ。なるべく早い内に、街に着きたいからな」

 はい、と大きく頷いて応えるエリス。彼女も疲れているだろうが、あともう一息だ。もう少しすれば、また前のような生活を送れる。だから、頑張ってくれ。

 ゴモラの街へと続く街道を目指し、敷き詰められた枯葉を踏みしめて、俺達は再び歩き始める。


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