《U》



「……でかい、な」

 眼前の光景に、思わず感嘆の声が漏れる。

 ゴモラに入った俺達を迎えてくれたのは、想像を超えた、巨大な石の塊だった。

 天を貫かんとそびえ立つ古の建造物は、本堂、西塔、東塔の三つから成っている。元々は本堂だけだったが、ここ二百年間の教会の権力増長に合わせて改修、増築が施され、今に至るらしい。両サイドに立つ東西の塔だけでもヘタな砦より大きいのに、中央の本堂は、確かな歴史の重みを孕んだ、荘厳な空気を漂わせながらそこに座している。

 こんなことを言うのは癪だが、信者が神聖視するのも、無理のない話だ。

「驚いた、って顔してますね」
「ああ。こんなにでかいのを見るのは初めてだ……」
「ふふっ。でも、今日は観光で来たんじゃないんですから。早く司教様に謁見しましょう」
「謁見って、そんな簡単に出来るものなのか?」
「多分、私が来たと言えば大丈夫な筈です。付いてきてくださいね」

 そう言うと、これまた豪奢な内装に臆することなく本堂へと入っていくエリス。その堂々たる言葉と振る舞いに唖然としながら、俺もひょこひょこと後に付いていく。

 やっぱりこいつって、凄い権力持ちなんじゃないのか……?

 そういえば自己紹介をした時にゴードン神父が、エリスが教皇に認められた云々と言っていたような気がする。第一、彼女が着ているのはかなり高位の聖職者が身につけるものだ。はっきり言って、一介の宣教師が得られる代物ではない。教会の権力構図など知りもしないが、今の彼女には相当な力があるように思えた。

 あの法衣は、伊達じゃないってことか……。

 エリスが神父と思しき男――彼女曰くトーマスというらしい――に話しかけると、すぐに本堂の上、司教室へと通される。彼女の言っていた通りだ。

「司教様。エリス様がご到着になられました」

 トーマス神父が部屋の扉越しに言うと、粘つくような男の声で、入室を促す声が返ってきた。会う前から嫌な気分だ。そもそも俺は、教会と云う場所が反吐が出るほど嫌いなのだ。やっぱりエリスだけ置いてさっさと帰ってしまおうか。

「失礼します」

 そんな俺の思いを無視して開かれる扉。

 その先に待っていたのは、赤い絨毯に、道を成すように二列に並んだ下位の聖職者達。そして、悪趣味な金細工に身を飾る太った男だった。さっきの声の主はこいつに違いない。

「エリス殿。お待ちしておりましたぞ」

 やたらと派手な装飾が施された椅子から立ち上がり、エリスと握手を交わす司教。エリスも、お久し振りですスクリュー様、と笑顔でそれに応える。

 俺にはあんな油おやじとあんなにこやかに握手するなんて不可能だ。俺と握手がしたければ、その体にへばり付く脂肪の三分の二はこそぎ落としていただきたい。そもそもこんな成金野郎に、司教なんて重要な役職が務まるのかが疑問だ。どう好意的にみたってゴードン神父の方が徳は高い。

 外がいくら凄くても、中がこれじゃ大聖堂もたかが知れてるな……。

 この場で言ったら絞め殺されそうな、そんなことを考えている俺をよそに、エリスはここを訪ねてきた理由を話していく。

「――という訳なんです。ですから、二、三日、レオンさんを匿ってはもらえないでしょうか?」
「おい。俺じゃなくて、お前――」
「レオンさんは静かにしていて下さい」

 ぴしっ、と釘をさされる。どうやら、俺を助けるという使命感に燃えていらっしゃるみたいだ。やれやれと肩をすくめる。

「お願いします、スクリュー様」

 頭を垂れるエリス。だが、司教の反応は芳しくない。考え込むようにうんうん唸って、言いにくそうに口を開いた。

「エリス殿。私もその青年を助けたいのは山々です。ですが残念なことに、今日の夜は大切な儀式が行われる故、外部の者をこの大聖堂においておく訳にはいかないのです」
「儀式……? 今日は、何の行事もなかった筈ですが……」
「いえいえ。それが急遽、悪魔祓いを行うことが決まりましてな。これは急を要するので、延期などは出来ません。今夜、決行です」

 悪魔祓い。

 その言葉に、エリスが僅かに動揺する。

 悪魔祓いとは文字通り悪魔を祓う儀式だ。悪魔は主に人に取り憑くが、たまに動物や道具やといったものに取り憑いている場合もある、らしい。記憶によればこの儀式は、それを行う場所全体を清め、悪魔に付け入られる隙を完全に無くして挑まねばならないとのことだ。だから、部外者は入れられないという訳だ。

「で、でも、それなら私がきちんとお清めをして――」
「――エリスは、ここで匿ってもらえるんだな?」

 平行線に進みかけた話に割ってはいる。このままだとらちがあかない。この場で宗教上の理由に勝るものなど存在しないのだ。あるとするなら、それはまた宗教上の理由だけだ。

 それにエリスには悪いが、俺はここに匿って欲しい訳じゃない。彼女の安全が保障されればそれでいいのだ。

「どうなんだ? エリスは部外者じゃないと思うが」
「……ええ。エリス殿がかのような狼藉者の手に掛かっては大変ですから。勿論、こちらでお守りさせていただきます」

 俺の言葉に、鷹揚に頷く司教。

「ならそれでいい。俺のことは構わないで結構だ」
「ちょ、ちょっと待って下さいレオンさんっ!」

 踵を返して司教室を出ようとした俺の腕を、慌ててエリスが掴む。

「何処に行くんですかっ! レオンさんは命を狙われてるんですよっ!?」
「あのなぁ、確かに俺を狙ってる奴等は普通じゃない。だけど、俺一人で十分に対処できるつもりだ。腕には自信があるからな」
「でも――」
「いいか? 昨日の夜はお前が一緒だったから逃げたんだ。俺一人なら、あんな無様な真似はしない」

 一呼吸おいてから、言ってやる。

「お前は邪魔なんだ。解ったか? だからこれ以上余計なことはするな」
「……!」

 弾かれたように、俺の腕を掴んでいた手を離す。

「……わたし……邪魔……」

 目線を逸らし、呟くエリス。

 少し言い過ぎたか……?

 だが、これぐらい言わないと意地でもエリスは食いついてくる。それはただ、彼女の立場を悪くし、延いては自身を危険に晒すだけだ。その優しさは誰のためにもならない。

「解ったなら俺はもう行くぞ」
「――お待ちください」

 今度こそ立ち去ろうとした俺を、次は司教が引き止める。

 俺は睨みつけるような目で首だけを巡らして司教を見るが、司教は構わず言葉を続ける。

「見れば、エリス殿は余程貴方の身を案じていられる御様子。どうでしょう。夕刻まではこちらで体を休め、夜からは私が紹介します宿に、護衛も付けて移られては。これならば、エリス殿も納得していただけるかと」

 司教にとってギリギリの妥協案。エリスにとっては最高の助け舟だ。

 お願いですから、そうして下さい。すがるように見つめるエリスの目が、そう言っている。

 まったく、どいつもこいつも……。

 心の中で溜息をつきながら、俺は黙って首を縦に振る。その回答に司教は満足そうに頷き、傍に控えていたメイドを呼びつける。

「西塔の客室まで案内して差し上げなさい。大切なお客様だ。くれぐれも、粗相のないように。私はこれから、儀式の準備に入らねばならぬからな」

 司教の言葉に、かしこまりましたと頷くメイド。そしてトーマス神父によって扉が開かれ、俺達に退出を促す。

「どうぞこちらへ。お部屋にご案内いたします」

 先導するメイドに付いて、司教室を後にする。

「じゃあお言葉に甘えて、少し休ませてもらうとするか――ん? どうかしたかエリス」

 部屋へ向かおうとする俺とメイド。だがエリスは司教室の前から動こうとしない。俯いて立っているだけである。

「どうかなさいましたか、エリス様?」

 メイドも心配そうに尋ねるが、エリスはただ首を振るだけで答えない。

 ……まさか、さっきのことか?

「おいエリ――」
「ごめんなさい。レオンさん」

 俺の言葉を遮って、声を上げるエリス。

「私がレオンさんに付いて行くなんて言うから、昨日の夜も、迷惑をかけてしまって――なのに、今日もまた――ホント、私って馬鹿で――」

 途中から涙声になりながら震えるエリス。

「いや、あのな――」

 慌てて弁解しようとするが、こういう状態の人間は聞く耳を持たない。

「いいんです。私、もう馬鹿なこと言いませんから。――失礼します」
「おい、待てって!」

 駆けて行くエリス。その背を呆然と見送りながら舌を打ち、自分のしたことを呪う。

 何故あんなことを言ってしまったのか。もう少し言い方があった筈なのに……。

 今更どうしようもない罪悪感に苛まれ、だがその矛先を何処に向けることも出来ず、俺はただ心の中で謝るしか出来なかった。


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