《V》
「さて、これからどうするかな……」
メイドに通された客室のベッドに寝転びながら、一人呟く。窓から差し込む黄昏の光はもう夕刻が近いことを教えてくれたが、夜が更けるまではまだ時間がある。さっきあんなことがあったせいで、眠る気にもならない。気晴らしに大聖堂の中を見て回ろうか。観光スポットに唾をつけて回るのもいいかもしれない。
ちりんちりん、とベルを鳴らす。用があるときに使ってくれと、さっきメイドに渡されたものだ。こんな物でちゃんと聞こえるかどうか心配だったが、メイドはきちんと部屋へやって来た。
「何か御用でしょうか、レオン様」
ただ、現れたのは部屋へ案内してくれたのは違うメイドだった。小柄な体つきで、栗色の大きな瞳と肩で切りそろえた黒の髪が、エリスよりもまださらに幼い印象を与える。
「あー、暇だったらでいいんだが、この中を案内してくれないか? 素晴らしい建物だからな。内装も、是非この目に焼き付けておきたい」
心にもないことを言ってみる。露骨過ぎて少しまずいかとも思ったが、メイドはその言葉に喜び、快く案内を引き受けてくれた。
……俺、この性格直したほうがいいかも。
その場の勢いで口を開くべからず。メイドの笑顔を見ながら良心の呵責に心を痛め、本気でそう思う。
「では、まずこの西塔からご案内いたします」
上機嫌で、メイド――チカと言って一応聖職者らしい――は案内を始める。
西塔は一番新しく建てられた塔で特に宗教的な施設はないが、住み込みの侍女や雑務係などが寝食をする居住区や要人を泊める部屋などがあり、本堂とは違った意味で重要な建物らしい。また東塔の地下には聖骸布など、宗教的意義の高い物が納められている倉庫があり、一般人には無論非公開だが「エリス様の、お連れの方ですから」ということで特別に中へ通された。
色んな物を見たような気がするし、他にも色んなことを聞いたような気がする。だが、よくは覚えていない。他のモノを見て、他の事を考えていたからだ。
「なぁチカ。あれは、見張りなのか?」
窓の傍に立つ二人の男を指差して尋ねる。
「そう……だと思います」
「一つ疑問なんだが、こんなに大勢いる必要があるのか?」
それがさっきから見て、思っていたことだった。あまりにも見張りが多すぎる。階段などについている衛兵はまだ解るが、地上から遙か離れた一枚の窓に、二人の見張りはやりすぎだ。
「確かに変――あ、これは多分、司教様が大事なお客様を迎えるにあたっての特別な配備だと聞いております。確か今朝に、見張りを増やすよう伝令がございました」
「今朝? 大事な客って、司教――殿はエリスが来るのを知っていたのか?」
そういえばあのブタ野郎、エリスを迎えたときに、お待ちしていました、とか何とか言ってたな。元々エリスが来る予定だったのかも知れないが……気になるな。
チカも、その辺りはよく分からないらしい。直接エリスに訊きたいが、今は会って話せる状態じゃないだろう。
くすぶる疑念を抱えながら、取り合えず見張りに関しての詮索は止め、別の所へ移動する。
「ここが礼拝堂になります」
通された礼拝堂にはもう宵を迎えようというのに、身なりも様々な多くの人達がいた。中央に打ち立てられた巨大な十字架は、神を現すシンボル。それに向かって、皆熱心に祈りを捧げている。
その姿は、俺から言わせれば滑稽以外の何物でもない。表の面こそ平常のままだったが、裏では嘲笑を浮かべている自分がいた。
その時ふとした拍子で、商人風の男二人の会話が耳に入ってくる。何気なく耳を傾けていたが、暫くして気になる言葉が一人の口から出て来た。
「――聞いたか。どうやら、処刑人が召喚されるらしい」
処刑人、だと……?
くすぶっていた疑惑の炎が、俺の中で一気に広がる。
「本当か? またお前さんお得意のホラじゃないのか?」
「いや。今回はそんなんじゃない。ここの司教が話をしているのを聞いたんだ。やっぱり、あの噂は本当だったんだよ」
「処刑人が、病葉(わくらば)を粛清して回ってるって話か? 昔ならともかく、今はそんなことはないと思――」
「――これはこれは。レオン殿もお祈りですか?」
まるで俺を男達の会話から切り離すように、背後からかけられた声。聞き間違えるはずがない。あの司教の声だ。振り返ると、法衣の下で脂肪を揺らしながらこちらに歩いてくる司教の姿が見えた。チカが慌てて通路の端により、頭を下げる。
「それも兼ねて、この娘に案内をしてもらっているところです」
努めて笑顔を作りながら司教に応える。でないと、本気で睨みつけてしまいそうだった。
何故だか解らないが……コイツは不快だ。
「そうですか。結構々々」
こちらの心中を知ってか知らずか、大きく頷く司祭。
「あなたも道中大変だったでしょう。短い時間ですが、どうぞごゆるりと休まれよ」
「ええ。ありがとうございます」
小さく頭を下げながら司教の表情を窺うが、その顔は能面のような薄い笑みを浮かべているだけで、まるで心中を見せようとしない。
「私はこれから準備をしなくてはならないので行きますが、用があればそこの侍女に何でも言いつけて下さい」
「準備とは悪魔祓いの、ですか……?」
「ええ。これがまた大変なんですが、病葉はきちんと摘まなくてはね。では……」
軽く会釈して奥へと歩いていく司教。俺はその後ろ姿を見送りながら、頭の中を整理し始める。
まず見張り。あれが通常の配置でないのは一目瞭然だ。あの見張りの配置は、外ではなく内に向けられたもの。つまりあの衛兵達は、外からの侵入者をこの建物に入れないためにいるのではなく、内からの逃亡者を逃がさないためにいるのだ。
そして、処刑人、病葉という隠語。二つ言葉の示すところは、この大聖堂という中にあってはかなり不穏なものだった。
……まさか。
導き出された答えに俺は心の中で愕然とし、一度はそれを否定する。だが考えれば考えるほど、その言葉は信憑性を帯びていく。
俺は、三人の男達に襲われた夜のことを思い出す。あの最後の男と剣を交えた時に俺が言った言葉。対する男は一体どんな反応をした?
それは、ただ黙々と任務を遂行せんとしていた男が見せた、唯一の動揺。
「なぁ。悪魔を祓われるってのは何処のどいつなんだ?」
司教が去り、やっと頭を上げたメイドに俺は尋ねる。
「どうなんでしょうか……こういった機密事項は上部の方にしか伝えられておりませんから。私は存じ上げません」
「そうか……」
正直なところ、誰が悪魔に取り憑かれているかなどどうでもよかった。問題はこのメイド。一応ここで働いているメイドは皆神職らしいのだが、雑務係だけあって、教会という組織にあまり深くは関わっていないようだった。情報は得られないが、その立場はこちらにとって有利な点でもある。
もし俺の考えが正しいなら、彼女のような人間の協力が必要だった。
「なぁチカ」
「……何でしょうか?」
改まった俺を前に、表情を引き締める。何か重要なことだと察してくれたようだ。
「少し二人で話がしたいんだが、何処か静かな場所はないか?」
「大聖堂の敷地内で、でございますか……?」
「ああ。出来れば見張りもいない方がいい」
「……」
こちらの言葉に訝しげな表情を浮かべていたチカだったが、暫しの黙考の後、意を決したように俺をある場所へと案内してくれた。
そこは、裏庭の池のほとり。見張りも、向こうからは見えない完全な死角になっている。注文通りのロケーションだ。
「この池は神聖なものなので迷ったのですが――エリス様のお連れの方なら、大丈夫だと思ったんです」
言って、微笑むチカ。彼女の口から、エリスと関係があれば大丈夫、といった感じの言葉が出てきたのは二度目だった。
「どうしてアンタは、そんなにエリスを神聖視してるんだ?」
「エリス様は、神学校時代の先輩なんです。私はエリス様みたいに成績は良くなかったのですが、そんな私を、エリス様は妹のように可愛がって下さって……お姉さま、なんてお呼びしていた頃もありました」
熱を持って話し出すチカ。何だか妖しい話が混ざっていたような気もするが、黙って続きを聴く。
「誰にでも優しくて、そして誰よりも慎み深く、敬虔な人。エリス様は、神に仕えるもの皆の憧れです。教皇様からもその信心深さを認められ、一般の信徒の方々からは、次期教皇にはエリス様を、という声もあるくらいです」
「……それは、かなり凄いな」
よく考えれば、今俺がここにいるのだってエリスがあそこまで司教に言ってくれたからだ。本人が自覚し、その支持力を行使すれば、組織内でのエリスの発言力は相当なものなのだろう。
「布教に熱心なこともそうなのですが、彼女に看てもらい、傷が癒えた方がたくさんいらっしゃるようで、それがエリス様を現人神として、崇めることに繋がっているみたいです」
現人神。なるほど間違ってはいない。
「お姉さまは素晴らしいお方で、本当に、神の御許に近いお方です」
語るチカの目は本当に輝いていて――それは最早、盲信に近かった。
これからする話を聞けば、チカには非常な負担になるだろう。それどころか、彼女を何かしらに巻き込んでしまうかもしれない。そもそも、これは俺の思い違いなのかもしれないのだ。
杞憂ならばいい。思い過ごしなら、それで俺は自由に動ける。エリスも元の生活に戻れる。だがその安堵に浸るのは、訪れようとしているこの夜を越えてからだ。
「……今からする話だが、他言は厳禁だ」
こくり、と頷くチカ。その曇りなき眼に偽りはない。
それを確認して、俺は全てを話し始める。
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