《U》




「――ニキ。アニキってば」

 呼びかけと共に、ガサガサと揺らされる体。後頭部に感じる硬い地面。意識が覚醒するにつれ、レナの心配そうな声が徐々にはっきりと聞こえてくる。

「……レナか」

 冷たい土の枕から逃げるように、よっ、と一気に起き上がる。途端に、戦場独特のすえた空気が鼻をつく。横たえていた体も、昨日の疲れが残っているせいか、少し重いような気がする。

「どうした。何かあったのか?」
「どうした、じゃなくてさ。……またうなされてたんだよ」
「……そうか」

 夢の内容はよく覚えていない。けれども、過去の忌まわしい記憶を夢に見たという漠然とした感覚は確かにあった。ケガをしてもいっこうに心配してくれないレナだが、俺がこの夢を見た時だけは心配そうな顔をする。

 しかし、久し振りだなこの夢も……嫌な気分だ。

「顔色が悪いなレオン。大丈夫か?」

 背後からかけられた男の声に、俺とレナの体が、同時にビクリと跳ねる。知り合いのものとはいえど、この声を急に聴けば、誰だってこういう反応になるだろう。

「「しょ、将軍! お早うございます!」」
「そう固くなるな二人とも。楽にしていろ」

 声を重ねた俺とレナに、和やかに笑いかけてくるその人は、今俺が傭兵として参加している北部戦線の総司令官、ロンメル将軍だった。中央国軍で一番と評される屈強な体に、それを包む、数多の傷を受けた鈍く光る銀の鎧は、まさに将軍と呼ぶに相応しい風格を放っている。しかしいつも柔和な笑顔を浮かべる顔だけが、それらを裏切っていた。

 もっとも、将軍の働きぶりを知る人は皆、その笑顔が逆に怖いと口を揃えて言う。武芸だけでなく、知略にも長け、部下からの信頼も厚いロンメル将軍は、今や中央国軍に無くてはならない存在だった。

「将軍、陣所におられなくてよろしいのですか?」
「少し、頭を冷やそうと思ってな。あそこはむさ苦しくて、どうも息が詰まる」

 そう言ってまた将軍は笑った。隣では、副官であり将軍の右腕でもあるセレーネさんが、いつものようにため息をつき、渋い表情で眉間に皺を作っている。

 細身の体に、青のウェーブがかかった髪が印象的なセレーネさんは、とても軍人には見えないが、将軍に才能を見出され、まだ成人したばかりのその身で、将軍の補佐を務めている。が、真面目な彼女は、自由奔放な将軍に日々苦労させられているようだった。

「こうして歩いていると、私もレオン達のように、地面を枕に寝ていた時の頃を思い出す。たまには交代してみるか?」
「いえ、将軍が雑魚寝というのはちょっと……」

 俺のような一介の傭兵が彼に覚えられたのは、本当に偶然だった。たまたま彼の指揮した戦いに、たまたま参加していた俺が、たまたま敵の仕官を討ち取った。本当にそれは偶然の出来事だった。

 人生なんてものは、全部たまたまの積み重ねだ。

「実は、密偵が情報を持ち帰ってきてな」

 そっと、将軍が耳打ちしてくる。

「昨日負傷した向こうの大将が、急死したらしい。北国軍はてんやわんやだ。今、一回りしてきたが、こちらの兵達はまだやれそうだ。暫くしたら仕掛ける」

 成る程。つまり息抜きというのは、何処にいるとも知れない、敵のスパイを欺く口実。さっきのセレーネさんのため息は「そういうことはこちらに任せてくれればいいのに」ということだったのか。

「解りました。じゃあもう少し体を休ませておきます」
「ああ。レナちゃんと二人で、ゆっくりと朝の時間を過ごしてくれ」

 俺の返答に満足そうに頷くと、将軍は陣所へと戻っていく。

 そして、程なくして始まる戦。

 司令官の死により浮き足立った北国軍は、張子の虎も同然だった。一気呵成に攻め込むこちらを止める術はなく、敵は総崩れ。這々の体で北国へと逃げ帰っていた。

 こうして北部での戦いは、俺達、中央国軍の完全勝利で幕を閉じたのだった。


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