《V》




 その夜。凱旋した砦で、勝利を祝した宴が盛大に催された。

「ヒャッハッハッ! 見たかよ、必死に逃げる奴等の間抜け面をよ! 笑いすぎてアゴが痛ぇぜ!」
「所詮は北の芋軍隊だ! ケツの穴の小せぇ野郎共しかいねぇんだ! 雪でも食ってろってんだ!」

 あちこちから聞こえてくる、赤く酔っぱらった声。皆が勝利に歓喜し、愉快に踊り、お互いの戦い振りをけなして褒めて、笑い合う。

 そんな宴もたけなわといった風景を、俺は一人離れて物見櫓から見下ろしていた。酒に弱く雰囲気に乗り切れないというのもあったが、それよりも、一人静かに勝ち得た平和を噛み締めていたかった。

 これで暫くは、北国の奴等も南下してくることはないだろう。国境付近の村々が、略奪にあうこともなくなる。

 悲しむ人が減る。勝利より何より、それが一番嬉しかった。

「一人で随分と、ご満悦じゃないか」
「しょ、将軍!?」

 ギッギッと軋む音を鳴らしながらハシゴを上がってきたのは、顔を紅く染めたロンメル将軍だった。その手には、酒がたんまりと入ったビンをさげている。

「陣所にいなくて、よろしいので?」
「夜風に当たりたくなってな。あそこはむさ苦しくて、息が詰まる」

 今度は本心かららしい愚痴をこぼしながら、将軍は隣にどっかりと座り、酒瓶を開けて一気に飲み干していく。相変わらずの呑みっぷりだ。酒に強いのも英雄の条件というが、将軍を見ていると、そんな俗説さえ本当に思えてくる。

「それでレオン。お前はこれからどうする気だ?」

 煌々と光る月を見ながら、出し抜けに、そう訊いてくる将軍。

「そうですね……今回の報酬が良かったので、レナと一緒にゆっくりするつもりです。暫くは、傭兵の仕事もなさそうですし」
「北国は、再び戦力を整えるまで下りては来ないだろう。南国とも最近は良好な状態が続いているしな」

 最近でこそ、北国がここ中央国の最も大きな脅威となっているが、一昔前までは、同じ宗教を国教と定めながら、しかし宗派が違うことで対立していた南国こそが一番の敵と見なされていた。

 ただここ数年は両派共に穏健派が多数を占めるようになり、正式な国交こそ回復していないものの、将軍の言うように大きな戦闘は起きていない。「北の蛮国」と恐れられる北国の南下政策と、長引く戦闘により荒廃した南部の大地を前にして、中央国も変わりつつあるのだろう。

「これで何ヶ月かは暇がもらえる。礼拝出来る時間が増えて、私は嬉しいよ」

 ぐい、と再び酒をあおる。将軍は、熱心な信徒であることで有名だった。ただ話をきくところによると、今の教会のあり方に疑問を感じ、教会直属の聖騎士団ではなく中央国軍に入ったそうだ。

 将軍ほど、地位も名誉も才能もある人なら、信仰を持つ必要なんてないだろうに。俺は心の中で思う。

 闇夜に響く男達の野太い歓声は、止む事を知らない。櫓の火に照らされてもなお夜空は暗く、星は宝石をちりばめたように光り輝いている。

「今朝のことだがな」

 何処か改まった口調で、将軍は話し出す。

「一体、どんな夢を見たのだ?」
「……大したことじゃないですよ」

 素っ気無く答える。だが自分の声は思ったよりもずっと、ずっと冷たく聞こえた。そして心は知らずの内に、その先の言葉を拒絶する。

「以前にもうなされている様子を見たことがあったが、あれは尋常ではなかった。話てみると楽になるかもしれんぞ? レナちゃんも心配しているようだし――」
「大したことじゃないって、言ってるじゃないですか!」

 口をついて出たのは、自分でも驚くほど大きく、そして怒気を孕んだ声だった。激しく震えた夜の空気が、残滓となって耳元で漂う。将軍もここまでの反応は意外だったのか、目を丸くして俺を見ている。

「――あ、その、すいません……俺ちょっと、疲れてるみたいで……」

 笑みを作って取り繕うと、顔が引きつって上手くできない。ひどく寒い。体の芯が、冬の池に放り込まれたように冷たく沈んでいる。耐え切れずに酒を飲むが、あまり効果はなかった。

 夢の――古い現の記憶が蘇ってくる。

 燃えた村。叩き付ける様な凍える雨。泣き叫ぶ俺。そして、そんな子供を見下すように佇む冷たい十字架。

「……いや、私の方こそ悪かった。今の言葉は忘れてくれ。ただ、女の子を心配させちゃいかんと、それだけが言いたかったんだ」
「なら将軍も、セリーヌさんにもう少し優しくしてあげて下さい。今朝も眉間に、深い皺が出来てましたよ」
「ハッハッハッ! セレーネのことを言われては敵わんな!」

 互いの笑い声が、勝利の夜に高らかと響く。あれほど体を苛んでいた冷たさは、いつのまにか消えていた。

 下から、俺と将軍を呼ぶ声がした。櫓から身を乗り出して見ると、焼けた肉を持ったレナと、少し顔を紅くしたセレーネさんが俺達を呼んでいた。

「アニキも食べよう! 美味しいよ!」
「ロンメル様。たまには付き合って下さいな」

 お互いに頷きあい、それぞれの待ち人の元へ行く。

 宵闇はいよいよその深さを増し、歓喜の夜はまだ長い。宴はまだまだこれからだ。

 それはエリスと出会う、ちょうど一年前の話。


NEXT