六章〜二つの再会〜




「いい天気だなぁ」
「そうですねぇ」

 晴れ渡った青空を見ながら呟く俺。そして、それに応えるエリス。我ながら、何とも呑気なやり取りだと思う。雲は穏やかに流れ、それを背に、鳥が弧を描いて飛んで行く。遙かに続く草原も上風に吹かれ、さらさらと心地の良い音を奏でる。

 世界は何処を見渡したって、平和なように見える。

 ゴモラの街を脱出してから数日が経過していた。

 命からがら脱出したとは言え、エリスのショックはやはり大きく、暫くは暗い表情が取れなかった。しかし何とか気も持ち直したようで、少なくとも表面上は元気に見える。多少の無理はしているかもしれないが、彼女がそれを見せまいとしているなら、それは俺の言うことではないし、気付くことでもない。

 俺がするべきことは、彼女を安全な場所まで連れて行くことなのだから。

 今は、街道から少し外れた山道を歩いている。外れているとはいっても人通りは多く、色々ななりをした人達がそれぞれの目的を持って行き交っている。彼らとすれ違っても、特に不審な目を向けられることはない。どうやら、エリスのことは公になっていないようだった。教会は彼女を秘密裏に始末するつもりなのだろうか 。

 その追われている張本人のエリスだが、数日前までとは格好が違う。あの上物の法衣ではなく、俺が調達してきた――俺達のことを口外しない約束で、馬を格安で売った商人から譲ってもらった物だ――どこぞの村娘が着ている様な、ありふれた代物だ。

 あんまり可愛くないですね、この服……。

 そう言ってエリスは不満そうだったが、あの法衣を着ていると、一目でエリスと判りかねないのだから仕方がない。結局、今度新しい服を買ってやるということで納得してもらった。極力目立たないように、意図して地味なのをもらってきたのは内緒だ。恨むなら教会を恨んで欲しい。

 俺は、神父がエリスのことを、悪魔と呼んでいたことを思い出す。彼女が異端と見なされ、教会によって粛清されようとしているのは明らかだ。礼拝堂での男達の会話に出てきた病葉という言葉は、異端を指す隠語である。

 エリスが異端と見なされた理由は――やはりあの力だろう。一瞬で傷を治してしまう奇跡の力。確かにあの力は、チカが言っていたように、エリスを現人神に仕立て上げてしまうほどの力を持っていると思える。本人にその気はなくとも、教会からすればエリスその強大な権力を脅かしかねない、恐ろしい存在なのだろう。

 教会に異端として目を付けられるのは非常に厄介だ。それはどう弁明したって、簡単に覆るものではない。奴等は異端を徹底的に排除し、抹殺しようとする。

 となると逃げるしかないわけだが、この国の中では何処に逃げようと無駄だ。版図全域に教会の力が根を張っていて、とてもではないが安住の地など見つけられそうにない。海外に亡命出来れば一番なのかもしれないが、生憎そんな力や伝手は俺にはなかった。

 結局のところ、ゴルドの言っていた、アネスキの街のルター司祭を頼りにするしかないか……。

 しかし、そのアネスキまでも無事に辿り着けるかどうか。ここからアネスキまでは結構な距離があり、教会が本気でこちらを追ってくれば、いくらでもその包囲網に引っかかってしまうポイントはある。問題は、行く手に目先にゴロゴロ転がっているという訳だ。

 はぁ、と心の中で今日何度目かの溜息がこぼれる。まだまだ、安息の日は遠そうである。

 だがらと言って、気持まで沈んでいては駄目だ。病は気から、とも言うし、何事に関しても気を前に向かせなければならない。たまにはこんな呑気な会話をして、神経を緩ませるのも必要というもの。木陰で昼寝なんかするのもいいかもしれない。

「本当に木陰で昼寝したら、気持いいんだろうな……」

 うららかな朝の日和。吹き抜ける柔らかな風。その中でまどろむ恍惚感。考えるだけで瞼が下りてくる。

「……レオンさん、さっきまで寝てたじゃないですか」
「そう言うなよ。お前も一度やってみろ。きっと病みつきに――と、見えてきたな」

 果てなく続く、緑の絨毯の先――スタールンの街の風景が、俺達の目の前に現れた。

 この国には、東西南北、四つの国が隣接している。南北両国とは国交が途絶えて久しいが、東西の国とは三国同盟の下、良好な関係を保っていて、人と物、どちらの行き来も激しい。

 スタールンの街は、東西を結ぶ中間地点に位置しているために交易が盛んで、近年最も発展を遂げた都市の一つである。遙か東方の大陸の方からも物資は流れてきていて、街を成す建物の中には、何処かエキゾチックな雰囲気なのも多い。

 金持ちなんかは休暇にここを訪れて、外国の珍しい物を買い漁るそうだが、俺達の目的は、それとは正反対だ。

 今俺達には、路銀がない。さっき言った、目先の問題の内の一つだ。軽い頭痛を覚えながら、昨夜の会話を思い出す。小さな村の、オンボロ宿屋の一室の中でのことだ。

「まずいですよ、レオンさん」
「ああ……まったくだ」

 はぁ、と部屋に響く二つの溜息。いやに大きく聞こえるあたりが、何もない部屋を、余計にがらんとしたものに感じさせる。

「ひぃ、ふぅ、みぃ……」
「止めろ。何度数えても同じだ……余計虚しくなる」

 床に並べられた硬貨。その数は、これから旅をしていくにはあまりにも心許ない数だった。宿に泊まることはおろか、じきに必要最低限の物資を買い足すことも出来なくなってくる。

「薬草があれば、三日は過ごせます! この辺りにだっていっぱい生えてますよ!」

 清貧を尊ぶエリス様はそう仰られたが、生憎俺は三大欲求に囚われた普通の人間だ。そんな食事で旅を続けていたら、いつか倒れてしまう。

 時間の惜しい今、路銀を稼ぐにしても、なるべく早く、大量に稼ぎたいというのが正直なところ。となるとやることは、賞金首を狙う、重要な物資や要人の護衛。こんなところだが、どれも自ら火中に飛び込んでいくようなもので、逃亡者たる今の自分達の状況を考えると、あまり無謀な真似はしたくなかった。

 追剥に手を染めるくらいなら、飢え死にした方がマシだしな……。

 結局いい案は浮かばないまま、俺達はスタールンに入った。まぁ何せ大きな街だ。探せば一つぐらい、仕事は転がっているだろう。たまには地道な労働も悪くない。

「へい、らっしゃい! いい物そろってるよ!」
「そこのお兄さん。ちょっと見ていかない? 西の珍しい物、たくさんあるよ?」

 門を潜るとすぐ、蒼天の元に響く老若男女の声に迎えられた。市が立ち並び、喧騒と活気溢れる大通りを歩いていく。

「エリス、気をつけろよ」

 物珍しそうに首を巡らすエリスに忠告しておく。

「どうしてですか?」
「聖職者の格好をしていたなら、大した勧誘も受けなかっただろう。だが今のお前は、ただの田舎娘も同然。鴨がネギしょって歩いているようなもんだ。怪しげな客引きには、絶対についていくな――」
「レオンさ〜〜ん! この服、すっごくいいですよ〜〜!」
「――っていきなり引かれてんのかよ!」

 エリスはキラキラと輝いた目で、手にした服を見つめている。どうやら、大陸系の商人に捕まったらしい。とんでもなく高そうなシルクのドレスを見せられ、恍惚に近い表情まで浮かべている。

「すっごく綺麗で、デザインもいいし――あ、でも、ちょっとだけ派手かな? 何だか、スリットも深いし……」
「いや、あの、エリスさん? お金ないって、解ってますよね……?」

 虚しいツッコミ。完全に魅入られてしまって、こちらの声など何処吹く風だ。仕方なくエリスの元に来た俺に、胡散臭そうな店の主人が話しかけてくる。

「そこのお兄さん、どうアルか? これ、大陸五千年の歴史が誇る伝統的衣装ネ。彼女に一着、どうヨ?」

 大陸五千年の歴史だ? また胡散臭い……前に聞いたときは四千年だったぞ。いつのまに千年経過したんだ。

「ほらエリス、行くぞ」
「え? あ! ちょっと待って下さいよぉ……」
「聞こえない」

 首根っこを掴んでずるずると引きずっていく。エリスはえぅえぅと未練がましい声を上げているが、気にしない。まったく。ただでさえ金がないのに、そんな高そうな服を買う余裕が何処にあるって言うんだ……。

 その後も、エリスはことごとく客引きに遭い、その度に俺はエリスを商品から引き剥がしながら仕事探しを、そして旅本来の目的である情報収集――レナに関することだ――を始めた。

 だが両方ともに思ったような成果は上がらず、時間だけが無為に過ぎていき、気付いたときには、俺達はまたあの胡乱な服屋の前にいた。


NEXT