《W》





 やがて日は暮れ、夜。

 今夜は一騒動あると、スタールンの街の誰もが思っていた。領主の館に予告状が送りつけられたことは皆が知っている。これは領主だけの問題だけではない。彼ら全体の利権に関わってくる問題だった。

 街の中央に建つスタールン教会には、今宵も祈りの光りが灯されている。その中では今、礼拝の儀が執り行われており多くの信者が集まっていた。街で屋台を営むジュンも、その一人である。この夜が静かに終わるよう、祈りを捧げにここまで赴いていた。

 しかし彼は、祈りに集中できずにいた。聖壇に立ち、儀を司る司祭――その横に立つ、今日初めて儀式に参加すると云う神父の存在が、どうも気になっていたのだ。

 神父と言っても、年はかなり若く見える。白銀のように煌く銀の髪に、何処かあどけない笑顔さえ浮かべる神父は、少年と言っても差し支えないだろう。中性的な容姿は神秘的な雰囲気さえ感じさせる。

 あれが本当に神父様なのだろうか……。

 それは、この場にいる皆の疑問だった。疑うのも無理はない。神父というものになるには、それなりの時間と労力がいる。とてもではないが、成人さえしていない少年がなれるものではない。

 そんな疑念が渦巻く中、礼拝の儀はつつがなく進行し、最後の段階に入る。神が与えたとされる聖水を皆で飲み、今日の罪に染まった肉体を清めるのだ。

「さぁ皆さん。聖水をいただきましょう」

  司祭の声が、広い聖堂に響く。少年神父と何人かのシスターが、小さなグラスに水を注ぎ、銀の盆へ載せ、配って歩く。

「どうぞ」

 ジュンにグラスを差し出したのは、件の少年神父だった。

「あ、ありがとう……」

 お礼を述べながらグラスを受け取る。

 やがて全ての人達にグラスが行き渡り、司教がそれを飲むのと同時に、皆もそれに合わせて飲む。そうして罪は清められ、儀式はそこで終わる。

 何時もなら、そうだ。

 最初は妙な違和感だけだった。だがそれはすぐに、明らかな異常となってジュンを襲い始める。

「あ……が……っ!」

 突然の痺れに喉を押さえ、ジュンはその場に倒れこむ。体が思うように動かない。声を出して助けを呼ぼうとするが、喉が痺れて声が出ない。本能的に、酸素を求めて足掻くが、呼吸さえも満足に出来なくなってくる。

 何なんだ、これは……ッ!

 急激に遠のいていく意識の中で叫ぶ。勿論答えは返ってこない。だが例え、その叫びが声になっていたとしても、誰も答えてはくれなかっただろう。

 彼の周りの人々もまた同じように、苦悶の中にいたのだから。

 やがて全ての感覚が麻痺し、トムは意識を失う。周りの人達も次々と力尽き、同じように倒れていった。

 神父の少年――カインは、その光景を見つめながら、横にいる司祭に話しかける。

「どれくらいの人間が、清教徒に選ばれると思う?」
「さぁ……調合には細心の注意を払っておりますが、個人差がありますので何とも……」
「ふぅん……そうなんだ」

 手元にある白い粉。それを一瞥してからカインは聖壇を降りる。目の前には、倒れた多くの人間の姿があったが、特に気にはならなかった。問題はこの後だ。

「さて、仕事だね。そっちは任せたよ。僕には僕の準備があるから」

 分かりました、と頭を下げる司祭。それを確認してから、カインは法衣の裾を翻し教会を出て行く。

 夜の中に身を躍らせる。仰げば、闇を穿つように満月が煌々と輝いている。それは、姉であった彼女が最も愛した風景。その中にいれることは、カインにとっては恍惚の極みだった。

 そして思い出す。自分の役目を。今日会った人のことを。この世界の全てに神の救いを与える、姉から少年へと引き継がれた役割を。

 カインは姉の言葉を思い出しながら、領主の館を見つめ、優しい笑顔を一つ浮かべて呟く。

「行くよ、姉さん……神の救いを届けるために」


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