《U》




 自警団の副団長マクガナルは、松明を手に、数人の仲間を引き連れて夜の街の哨戒に当っていた。

 携えた武器は、メイスにバトルアックスに両手剣。それに何人かは、領主から借り入れたプレートメイルを着込んでいる。何時もよりかなり重武装だ。それは、自分達が恐るべき脅威に晒されていることを自覚している証拠でもある。

 サァ――と、嫌に涼しい風が吹き、掲げた灯火を揺らし、松脂の臭いが走り抜けていく。日付が変わるのを間近に控えた街は、死んだように眠っている。

 マクガナルは一歩一歩土を踏みしめながら、自分が生まれ育ったこのスタールンの街に思いを馳せていた。

 いい街だ。

 自惚れではなく、素直に思う。

 朝早くから活気に溢れ、生活水準の向上は近年目まぐるしい。そして何より、人が豊かに生きている。絶えぬ笑い声が、街を彩っている。この国の中には無数の街が存在しているが、こんなにいい街は数える程しかないだろう。

 だが、こんなスタールンにも暗部はある。

 この街が栄えたのは、北国に対抗するために結ばれた三国同盟により、三国間の物資の行き来が盛んになっただけではない。内から融和のタイミングを探ろうという魂胆の下、送り込まれた南国のスパイ。それを受け入れ、匿うことによって得られる多大な援助。それがこの街の繁栄の、大きな要因の一つだった。

 これは領主ブラウンの考えあっての行動であったが、売国行為と見なされても仕方のないものであり、同時に、この地の教会に背く行為だった。普通の人間なら、こんな真似はしないだろう。ここ中央国で、教会を敵に回そうとする馬鹿はいない。

 だが、この地を治める領主ブラウンは違った。彼には大きな目標があった。南国と平和条約を締結し、東西南中央の四国で、北国に対抗する。その壮大なプランの実現のだめ、彼は秘密裏に動き続けてきた。

 そんな状態が続いてきた中で送りつけられた先日の予告状は、街全体を戦慄させた。表向きは盗人によるものだったが、隠された本意は明らかだった。

 ついに、教会が手を下さんと動き始めたのだ。

 決して誰も、領主ブラウンでさえもそのことをはっきりと口にはしなかったが、街の住人の全てが、それを理解していた。

「――ん?」

 後ろを歩いていた隊員の足が、不意に止まる。マクガナルは思考を中断し、振り向いて尋ねる。

「どうした?」
「いえ。何だか今、変な音がしたような……」
「変な音……?」

 その場にいる全員が耳を済ませる。すると虫の音にまじって、確かに妙な音が聞こえてきた。

 ずちゃ……ずちゃ……ッ。

 何かが這いずり回るような、気色の悪い粘着質な音。それに、微かな打撃音が混ざっている。嫌な予感が団員達の脳裏をかすめる。状況が状況なだけに、それが一層感じられた。

「こっちだ。ついて来い」

 一団は具足を響かせながら暗いわき道を通り、ある民家の前で立ち止まった。他の家よりも一回り大きく、暮らしぶりのよさが窺える。

 間違いない。音源はここだ。だがここは、マクガナルもよく知る男の家だった。

「おいエヴァード!いるのか!」

 比較的上質な木製のドアを激しく叩き、友であり、この家の主であるエヴァードの名を呼ぶ。だが返事はない。依然、音は鳴り続いている。

「副団長……」
「構わん、ドアをぶち破れ!」

 怪しきは全て排する。今夜における鉄則だ。

 隊員にドアを破壊させ、家の中に雪崩れ込む――が、何かに躓き、先頭をきった隊員がみっともなく地面へと突っ伏した。同時に、べちゃりと水気を含んだ音が暗闇に響く。

「これは……」

 マクガナルが明かりを灯し、隊員を躓かせたモノが団員達の下に晒される。

 そこにあったのは、死体だった。

 長い髪がついた頭部が奇妙に陥没し、血が辺り一面に広がり、壁にも飛び散っていた。躓いた団員が起き上がったが、顔が真っ赤に染まっている。うっ、と誰かが嘔吐く。マクガナルも辛うじてのところで吐き気を堪え、震える声で呟いた。

「クリスチーナ……」

 顔は見る影もなくグチャグチャになっていたが、その豊かなブロンドヘアーが、この死体がエヴァードの妻であるクリスチーナのものだと教えてくれた。生前の美しかった彼女と今の無残な姿が嫌でも重なり、マクガナルの肩が激しく震えた。

 その怒れる眼が家の奥――今だ音が鳴り続ける方へと向けられる。

「続け、遅れるな!」

 奥へと突入していくマクガナル。団員達も急いで後へと続き、そして再び絶句する。

 がらん、と開けた広い部屋。そこにいたのは、一人の男だった。赤い雫が滴るメイスを一心不乱に振り下ろしている。

「エヴァード……ッ!」

 ぐちゃっ。ぐちゃっ。

 音を立てているのは、さっき見た死体の、半分くらいの大きさしかない肉の塊。赤いものが一杯飛び散っていて、それが元々何であったか――肉の端にこびり付いた長い金髪がなければ、きっと判らなかっただろう。

 子供が、エヴァードの愛娘であるジェーンが、自らの親の手で挽肉にされていた。

「貴様ぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 激昂したマクガナルが剣を抜き、友だった男へと切りかかる。

 そこで初めて、エヴァードは侵入者達に気付いたらしい。ぎろりと目をマクガナルに向けると、まったく無駄のない動きで斬撃をかわし、その頭に必殺の打撃を見舞った。

 ぐちゃ、と最早聞き慣れた音がして、マクガナルが崩れ落ちる。

「このぉぉぉぉぉぉっ!」

 出遅れた団員達も、男に切りかからんとする。だが、予想だにしない背後からの一撃が、また一人、団員の命を奪い去る。

 今度は斧から血を滴らせた男が、家の入り口側から団員達に襲いかかってきたのだ。

「く……っ!」

 思いがけない挟撃に晒される団員達。だが挟まれたとは言え、相手はたった二人の男だ。軍隊ほどではなくとも、訓練を積み、なお数で勝る自警団の面々が負ける筈がなかった。

 だが、実際は違った。

 男達は異常だった。いくら剣を振るえど、鎚を振るえど、彼らにはかすりもしなかった。ことごとく、団員達の攻撃はかわされ、一人、また一人と団員達は倒されていく。

 そうして最後の一人になった団員に、最早勝機は残されていなかった。

「そんな……そんな馬鹿な……!」

 死の恐怖にガチガチと歯を鳴らしながら、最後の一人は部屋の隅へと追い込まれる。

 どうしてだ? どうしてこんなことになった? どうして皆やられたんだ? 相手はただの一般人だっていうのに!

 その答えがでる前に、団員の頭は音を立てて大きく窪み、使い物にならなくなっていた。



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