《V》
自警団の別グループ――団長のアッバスが指揮をとる一団は、ロンメル将軍の兵を数人伴いスタールン教会へと向かっていた。街を見回っていた団員から、教会に異常があるという報告を受けたからであった。
教会の前に到着すると、すぐに異常箇所は解った。普段ならば教会の周りに設置された、夜が明けるまでついている筈の篝火が全て消えている。
何故、今夜に限って消えた?
すぐに伝令を遣わせられる様に、少し離れた所に将軍の兵を待機させ、団員だけで、暗黒に包まれた教会の扉の前につく。
扉のノブに手をかけると、かかっている筈の鍵は外れており、何の抵抗もなく扉は開いた。開かれた扉は、さながら闇が顎(あぎと)を広げたようである。
「警戒を怠るな」
注意を促し、入り口に待たせる部下に自らの松明を渡して、教会の中へと入って行く。
教会は一見、何の変化もないようだった。教会独特の、厳かな空気が辺りを支配しているだけで、その中では、自分達以外の気配を感じ取ることは出来ない。
だがよく見ると、聖職者が教えを説く壇の前に、何かがずらりと並べられていた。最初は遠くてよく見えなかったが、近付くにつれ、その正体がはっきりと判ってくる。
「ジュン……」
その場に膝をつき、アッバスは友人の名を呟いた。
ジュンを含めた十数人の死体が、聖壇の前で綺麗に並べられていた。いずれも苦悶の表情をその顔に刻み、安息を求める教会の中にあっては、これほど似つかわしくない表情はない。
だがこの死体が、少し前まで教会にいた人間の数にはまるで足りないことを、彼らは知る由もない。
足りない者達が今、自分達と同じ自警団を屠殺していることも。
「一体何が……」
手を伸ばし、死体を抱きかかえようとする。だが死体に纏わりついた何かの感触に、アッバスは思わず手を引っ込める。
これは……油? 聖油か?
並べられている死体を見る。動揺していてついぞ気付かなかったが、全ての死体に油が塗られているようだ。しかもこの香りは間違いなく聖油だった。
聖油とは、教会における儀式や典礼で使用される香油だ。普段から嗅ぎなれている匂いなのでさほど気にしなかったが、心なしか、匂いの密度がいつもよりも濃いような気がする。
どうして聖油が……ここで何があったと言うんだ!
「ようこそ儀式の間へ」
アッバスの音無き叫びに答えるかのような声が、聖堂に響く。どこか粘ついたその声は、主を知る者なら必ず嫌悪を催す声だった。
「ごきげんよう、皆様」
慇懃な言葉を吐き、聖壇の裏―――暗がりになっていた場所から、脂肪をたんと蓄え、黄金を散りばめた法衣を纏う体が、その姿を現す。
ゴモラ大聖堂を司る、スクリュー司教であった。
何故この男がここにいるんだ!?
ただでさえ動揺していたアッバスの心が、さらに激しく波打つ。
領主ブラウンが、悪徳の象徴として唾棄すべき存在だと常に言う男。それがこのスクリューであった。数年前の南国との戦いで聖騎士団を率いて敢闘し、その功績で今の地位に上り詰めたとされる狡猾な男だ。
同じ司教の中でもトップクラスの権力を持ち、ブラウン排斥に関しても深く関わっていたため、ブラウンが最も警戒している人物であった。
あいつが動くときは、この国が破滅へ向かってまた一歩動く時だ、と。
「スクリュー司教、どういうことだこれは!」
「どうもこうもありませんよ。ここは儀式の間。つい先ほど、非常に重要な儀式が行われたのです」
「ふざけるな! これが、この死体の列が儀式の跡だとでも言うのか!」
「ええ。そうですとも」
怒りに震えるアッバスの声をいなすように、スクリューはやんわりと笑みを浮かべる。
「神の裁きを与えるための神の戦士、清教徒を選ぶための名誉ある儀式。これによって選ばれ清教徒となった者は、常闇の地獄から選定の剣を持って立ち上がり、罪ある者への贖いの瞬間をもたらす」
クク。さも愉快そうにスクリューの喉が鳴る。
「ここで眠っているのは、残念ながら選ばれなかった人達です。幸運にも選ばれた人達は、自らの家で立ち上がる瞬間を、その合図を待っていますよ。一部はもう、行動を始めているようですが」
「何を言って――」
「時に貴方は、過去の伝承を知っていますか? 悪徳によって栄えた都市が、如何にして神に裁かれたかを」
スクリューの持つ木の棒に、火が灯される。アッバスは自分の足元に広がる液体を見てスクリューの真意を悟ったが、既に時遅しであった。
「そう。街は炎によって灰燼へと帰しました。一度根付いた禍根は、そうしなければ断ち切れぬからです。ではその伝承を、現代のものとしましょうか」
スクリューはにやりと嗤うと、死体の列に火の点いた棒を投げ込む。
聖火は一瞬にして油を伝い、燃え盛る道を作り、鎧を纏った自警団員達を次々と飲み込んで行った。
「ガァァァァァァァァァァァッ!」
搾り出すような、地獄の断末魔。それを尻目にスクリューは、足早に裏口へと体を滑らせる。
「それでは皆さん。会えるならば、天国で会いましょう」
スタールン教会が火に包まれたのは、そのほんの少し後のことだった。
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