《W》




 闇に沈んでいた筈の街が、一瞬にして昼間のような明るさを取り戻す。教会はその身を巨大な篝火へと変え、炎が高く、天へと伸びる。

 それは、始まりを告げる音無き鬨であった。

 街では、一部の住民による虐殺が始まっていた。寝ている家族を何の躊躇も無く、ある者は鈍器で原型を留めぬほどに叩き殺し、ある者は刃物で滅多刺しにした。そしてそれが終ると、隣人を殺すために外へと出た。

 殺される側の人々は、何が起こっているのか解らないまま、家族に、友人に、隣人に殺されていった。

 眠る前まで、お休みと言い合うまで、仲良く話し、笑いあっていたのに。

 目が覚めれば、また楽しい日常が始まっていることを信じていたのに。

 裁きの時は、スタールンの住人に着々と訪れ始めていた。領主ブラウンも例外ではない。

「敵襲、敵襲! 数は六! 正面から突っ込んできます!」

 木々の影から躍り出た六つの人影を、領主の館の見張りが見咎め声を上げる。それに呼応して鐘が打ち鳴らされ、警護に当っていた兵達の間に緊張が走る。

 彼らからも、街で燃え盛る炎が見えていた。この闇の中で、何かが動き始めたのだ。この場にいる全員が、同じ心持であった。

「弓組、射殺せ! 敵を門に近付けさせるな!」

 小隊長の檄が飛び、防壁の上――通路になっている場所に陣取る弓兵達が、向かってくる敵達に次々に矢を放っていく。だが相手の動きは尋常ではないほど早く、中々当らない。

 敵は門の下に取り付こうと、さらにその足を速める。

「来いやぁぁぁぁぁっ!」

 門番の一人が、先頭を走る一番小柄な男に向かって切りかかる。だが男――カインは、男の薙ぎ払いを軽く跳んでかわすと、

「ごめんね」

 呟き、その男の頭を足場に、信じられないほど高く跳び上がる。その先には、門を塞ぐ巨大な木の扉。

 普通ならそこで動きを阻まれ、無様に地面へ落ちるしかない。だがカインは門の中ほどまでくると、鉄製の槍を、分厚い木戸に深々と突き立てた。そして鉄棒の大車輪の要領で二三、大きく回ると、その勢いで一気に城壁の上へと飛びあがる。

 全てが一瞬の出来事であった。

 虚を突かれた弓兵二人を、抜き放った湾刀で切り殺すのと同時に、カインは防壁の上に降り立つ。すぐさま剣を携えた兵士が突っ込んできたが、これは殺さない。いい具合に、弓兵からの盾になってくれていたからだ。雑兵の攻撃など、軽くいなしていればいい。

 カインは防御を片手間に、湾刀を一本、鞘に戻し、腰に下げた皮袋の封を解く。中には、胡桃大の黒い球体がいくつか入っている。縄が十字に巻かれ、導火線が尻尾のように出ていた。

 さて、新兵器とやらはどれ程のものかな……?

 子供のような高揚感を覚えながら、カインは球体を一つ取って導火線に火をつけると、弓兵のいる方へそれを放り投げた。

 直後、耳をつんざくような爆音が木霊し、粉塵を空へと舞い上げる。カインは間髪入れずに二個、三個とこれを投擲し、弓兵を悉く爆発で吹き飛ばしていった。怯むな! という声が虚しく響く。

 カインが投げた球体――いわゆる爆弾は、弓兵達を混乱させるには十分すぎる程の効果があった。威力も音もそこそこあり、もくもくと辺りを包む煙が、いい煙幕に成っている。カインはこれに乗じ、煙に巻かれた兵達を次々に切り捨てていった。反撃の矢は相変わらず放たれているが、てんで見当違いな方へと飛んでいっている。恐るるに足らずであった。

 さて、ここはもういいかな。

 十二分に数は減らした。そう考え、次の作戦段階へ移らんとするカイン。だが煙幕の中から突如現れた男が、それを阻む。

 キィンッ!

 刃が交錯し、甲高い音を立てる。カインも感心するほどの一撃だったが、ロンメルの斬撃は寸での所で、紅の湾刀に受け止められていた。

「……やるね、おじさん」
「貴様が処刑人か!」

 ここが勝機と言わんばかりにロンメルは白刃を繰り出していく。だが初手で仕留められなかった時点で、それは叶わぬことだった。

「次に会うときは、殺してあげるよ」

 カインはそう言って小さく笑うと、ロンメルの剣を高々と弾き飛ばし、門の内側―――遙か下の地面へと自ら落ちて行く。

「馬鹿な……!」

 合点のいかぬ行動に、ロンメルは慌てて身を乗り出し、落ちて行くカインを目で追う。

 その直後、下方で再び爆発が起きた。煙が上がり、下で待ち構えていた衛兵達が地面に突っ伏しているのが見える。

 奴は、奴はどうした!?

 この高さから飛び降りれば、普通は助かるまい。運がよかったとしても骨折は確実だ。それにあの爆発。さっきの少年が無事だとは到底思えない。

 だが常識を裏切って、カインは健在だった。薄くなっていく煙の中ですくっと立ち上がると、そのまま何事もなかったかのように、悠然と館に向かって駆けていく。

 その光景を呆然と見送りながら、ロンメルは思う。

 あの領主。十中八九、命はあるまい。



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