《一章》
とんびが一羽、呑気な声と弧を残して向こうの空へと飛んでいく。雲ひとつないお陰で、点になるまでその姿を追うことが出来る。嘘みたいに晴れた空だ。大気も澄み、高台に登ったならば遥か彼方まで見渡すことが出来るに違いない。日の照りも丁度良く、一面に萌えた新緑を映えさせている。山裾に広がる草原の中、これで辺りに死体が数多転がっていなければ、渡辺綱の表情ももう少し柔らかだっただろう。
「すまぬ・・・みんな・・・っ」
鬼達の不意打ちを受け、壊滅した呪術師部隊。その亡骸を前にして、震える綱の口から知らずの内に謝罪の言葉が漏れる。慰めるように心地よいそよ風が吹きぬけ、彼を撫ぜていったが、同時に揺らされた死者達の衣が立てる音は、綱の気持ちを余計に暗澹なものにさせた。
真っ赤に燃える紅の狩衣に、携えた通常より少し短い二本の太刀。他の武士とは様相を異とするこの青年は、先の討伐戦において最後まで戦ったあの衛門の退魔士だった。頬に走る生々しい創が、人外との戦闘の苛烈さを物語っている。彼は鬼と戦い、撃退することに成功した。だが土蜘蛛討伐という本来の目的を果すことは出来ず、口惜しさに身を振るわせながら退却していた。
だがそもそも、何故このような多大な犠牲を強いた土蜘蛛討伐計画が持ち上がったのか。事の発端は半年前だった。時の帝が行幸の折に妖魔の襲撃を受けるという、前代未聞の大事件起きる。幸い大事にはならなかったものの、帝は酷くあやかしの類に対して怯えを抱くようになった。このような者共が跋扈していては世は決して治まらぬ。その考えの下に、都の警護を司る衛門府に下された勅命が、
「日の本全ての妖魔を滅せよ」
というものだった。早速、通常の防護部隊とは別に退魔機関―――主にあやかし退治を専門とする機関―――を擁する衛門府は、退魔士としても非常に優秀な源頼光と、その部下で頼光四天王と呼ばれる猛将達を中心に、遠征部隊を編成。最初の攻撃目標を東国に巣食う妖魔一族に定め、軍を派遣した。
四天王には、碓井貞光、卜部季武といったその名を轟かせる武芸者が含まれていたが、その筆頭は他ならぬ渡辺綱であった。若いながら衛門きっての退魔士として勇名を馳せていた綱は、当然自分も遠征軍に組み込まれるものだと思っていたが、主でもあり、また退魔行における師でもある頼光は、都の防備のために綱を残しておくこととした。退魔機関の中心的存在である自分達が全員東国へ赴けば、帝のお膝元が危うくなる。留守を任せられるのは綱しかいない。頼光の言葉に、綱は大人しく従った。
しかしその綱も、戦場に駆り出される事になる。東国における掃討作戦は順調に進んだが、それ故に帝は計画自体の促進を指示。人員不足を誤魔化しながら綱を中心とする第二軍が編成され、次なる攻撃目標として選ばれた土蜘蛛達の山へ進発することとなった。
だがその先方部隊は、土蜘蛛と、そして鬼の奇襲により甚大な被害を受けることになる。作戦は失敗。衛門は力押しから方針を転換、慎重を期することする。
あれから数日が経って、綱が再びここに来ているのは、その方針の変更が理由だった。今度は偵察部隊の一員として、土蜘蛛達の山に派遣されることが決まったのだ。綱はこの部隊に組み込まれるにあたって、新たに都から派遣された隊長の補佐を命ぜられていた。
「酷い有様ですな。よもやここまでとは・・・」
呟いたのは、その隊長だった。馬上で手綱を握って惨状を見下ろす上官に、綱は鋭い目をやる。
跨った毛並みのいい馬に、装飾が施された太刀。綱とは対照的な薄い藍の狩衣は汚れ一つなく、風を受けて小さく波打っている。綱もなかなかの美青年だったが、この藤原頼将という男はそれ以上に整った顔で、なおかつ線が細く、傷一つ負ったことのないような、そんな優雅な雰囲気を漂わせていた。全てが彼の家柄の良いことを物語っている。
頼将は藤原姓ではあるものの摂関藤原家の者ではなく傍流の出だが、祖父の頃より武門の徒を束ねて台頭し、現在は頼将の父親である道大が衛門府の長―――衛門督を務めるまでになっている。最早、源氏や平氏と同じ武家と言っても差し支えないが、それでも公家の血が連綿と受け継がれているのだろう。頼将ほど武士であることが似合わない男を綱は知らなかった。詩でも詠んで鞠でも蹴っている方が余程様になっている風体だ。
今回の任に就くにあたって、
「頼将殿は、衛門督がご嫡男。くれぐれも粗相のなきように」
と言われたことを思い出す。下らない話だ。腕は確かだと聴いていたので今は従っているものの、その器でないと判断すれば、綱は一人でも動くつもりだった。憎き鬼と土蜘蛛を討ち、仲間達の仇を取るために。
「それで綱殿。襲撃してきた鬼というのは、酒呑童子で相違ありませぬか?」
ぴく、と綱の端正な顔に歪が走る。しかし刹那の内に取り繕うと、穏やかな口調で頼将の問いに答える。
「はい。刃を交えてみるに、間違いないかと」
だがその心のうちでは、激しい叫びが迸っていた。間違えるものか!あの裏切り者を!
綱はもう一度、死々累々の地を見渡す。本当に酷い有様だった。ここに集められたのは呪文の詠唱による後方支援を主とする者達が殆ど。それ故に強襲に対応できず、反撃の機会さえ与えられぬまま死んで逝ったのだ。気付けば自分以外はほぼ全滅。微かに残った護摩の香りが、恨みの残滓のようで綱の心を痛ませた。
「とにかく、今日はもう戻りましょう。霊脈の流れはつかめましたし、あの山へ潜入するために、本格的な作戦を練らないと」
二人の視線が、正面に聳え立つ山に注がれる。過去に朝廷によって追われた土蜘蛛達が、隠れ住んでいる山。元を坂上山といったが、何時の間にか名を変え、今は誰もが蜘蛛山と呼んでいた。この山へ潜入し、土蜘蛛達がどれ程の軍勢を秘めているかを探る。言葉にすれば単純明快だったが、一筋縄ではいくまいと綱は感じていた。彼奴らは危険だ。どんな手を使ってこちらを嵌めてくるか判ったものではない。
「それだけでも解ってくれていればいいが・・・」
「綱殿、何か?」
いえ、と頭を振って、
「参りましょう。じき日も落ちます」
軽い身のこなしで馬に跨る綱。頼将は不思議そうな顔をしていたが、やがて馬首を翻して走り出す。綱もその後ろに黙って続いた。
それだけでも、解ってくれていればいいが。
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