《二頁》




          
 今夜も義高は、夢の中で殺される。いつも同じ河原で、いつも同じ武士に、首を刎ねられる。そして断末魔と共に、呪いをこめて鮮血を散らす。

 しかし目覚める前に、仔細は全て失われてしまう。夢の内容は、義高の知っていてはならないことだった。

 故に「声」は、義高を起こそうと、不吉な言葉を束にする。一刻も早く目覚めさせることで、せめて殺された感覚だけは残してやろうと。この世の摂理に反して声を届ける。

 ――かくれかねたるよのなかの――おくれさきたつ物うさは――

 ――そのとか、いまよしたかに、つもりきて――

 ――いまをかきりとなりたまふ――さいこの事そ、いたはしき――

 そして義高は、いつものように眠りから覚める。荒い息をつき、寝間着を冷たい脂汗で濡らしながら。

 

 数日後、賽を振る大姫は、前回とは別人のように笑みを浮かべていた。対して、盤を挟んだ義高は仏頂面である。

「また、わたしの勝ちでございますね」

 にこにこと屈託なく笑う少女は、まるで白い小手毬のように愛らしい。それはいつの時代も、初心な少年の心を虜にする――筈なのだが、今日の義高は例外であった。

「い、いかさまだ!」
「義高さま。敗軍の将は潔く、でございます」
「いや、そういう問題ではないだろこれは!」

 義高が声を上げるのには理由がある。今しがた四連敗を喫するまで、彼は目を疑うような光景を幾度となく見せ付けられていた。

 大姫の振るさいころが悉く、悉く彼女にとって都合のよい目を出していたのだ。

「せっかく、修練の成果のお見せできましたのに……」
「……まさか、この間言っていた修練というのは」
「はいっ。賽の目を操る修練でございます」

 答える姫の笑顔が、一層輝く。義高は思わず頭を抱えた。今回勝てたのがそれほど嬉しかったのか。そして前回負けたのが、それほど悔しかったのか。

「義高さま」

 すっと、二人を阻んでいた盤をどけて、姫が顔を寄せてくる。

「折角こうして勝利を得たのですから、何かご褒美をいただきたく思います」
「褒美? 俺が勝った時は何もなかったぞ」
「義高さまは、わたしの悔しがる顔を十分堪能したではありませんか」

 なるほど、それは言えている。

「それで、何が欲しいのだ? 人質の身空で用意出来るものなど、たかが知れておるが」

 とても姫の目にかなう物など――言いかけた義高に、姫は頭を振る。

「物が欲しいのではございませぬ」
「では何を?」
「わたしを、遠駆けに連れて行ってはもらえませぬか?」

 遠駆けか……。

 今まで、一緒に何処かへ出かける時はいつも義高からの誘いだった。それが今日は姫から。やっと姫もその気になってくれたか。気を良くした義高は、すぐに馬を引かせた。



 涼しげな木陰には目もくれず、義高の駆る馬は、照りつける日差しの下を駆け抜けていく。夏は少しずつやわらいできていたが、それでもまだまだ暑さは厳しい。故に、

「馬上の風は格別であろう?」

 過ぎてゆく風の涼しさが、心にしみる。

「はい、とっても……」

 手綱を握る義高の腕の内で、大姫は目を細めた。今日も変わらず美しい髪が、周りの風景と共に、後ろへと流れていく。

「なぁ姫。一つ訊いてよいか?」

 何でしょう? 首を傾げる姫。

「賽を振るう特訓をしていたのは解ったが、それほど以前、俺に負けたのが悔しかったのか?」
「それはもう。義高さまごときにしてやられては、河内源氏末代までの恥でございます」
「俺も一応、河内源氏の流れなのだが……」

 頬をかいた義高に姫は、冗談ですと笑いかける。冗談か。義高も笑った。今日は珍しいものがよく見られる日だ。

「本当は義高さまにではなく、自らの運に負けたのが悔しかったのです」
「自分の運?」
「おかしな考えだと、自分でも思いますが」

 姫の声はまだ笑ったままだったが、一抹の寂しさが混ざったことに義高は気付く。

「でも、このような瑣末なことさえ思い通りにならぬのが、どうにも悔しくて……生きていれば、いか様にもならぬことが数多あるのに……」
「だから、賽の目くらいは操ってやろうと?」
「はい。とても苦労しましたが、でも――」

 微笑んだ姫の顔はいつも通りで、降り注ぐ陽光が、いつも以上に彼女の肌を白く見せる。
「自分の手で得る運もあるに違いないと、そう思うようになりました」
「……」

 他にも他愛ない会話を続けている内に、馬は由比ヶ浜の砂浜へと入っていく。波の寄せる音に乗って、遠くから子供の戯れる声が聞こえてきた。もし姿が見えれば、きっと全員が真っ黒に焼けていることだろう。

「今日は、泳げばさぞ気持ちいいだろうな」
「ええ。きっと」

 馬であろうと徒歩(かち)であろうと、結局来る場所はいつもと同じだった。二人ともここが好きなのだ。普段は自分達の足跡を刻んでいく浜に、義高は蹄の形を点々と残していく。

「義高さま」

 腕の中の姫が、上目遣いで彼の名を口にする。

「以前ここで、義高さまにした話を、覚えていらっしゃいますか?」

 今日の大姫は饒舌だった。そしてどこか、蟲惑的だ。

「以前にした話……?」

 ――義高さまは、どこか遠くへ行ってしまいたいとは思いませんか?

 夕暮れに染まったあの日の姫の言葉が、季節の違う磯の香りと共に、頭の中で蘇る。

「ああ、ちゃんと覚えているぞ」
「まだ、お気持ちは変わらぬままでしょうか?」

 大姫の声は、そのまま潮騒に溶け込んでしまいそうな程に、優しい。とても、ここから逃げろ、と暗に言っているようには思えない。

「……ああ、変わらぬ。俺はずっとここにいる。姫の夫だからな」
「なら、わたしと一緒ならばよろしいのですか!?」

 急に衣をぎゅっと握られ、危うく馬から落ちそうになる義高。どうにも今日の姫は様子がおかしい。なぁ姫。諭すように、彼女を呼んで義高は尋ねる。

「どうして姫は、それ程までに俺を鎌倉から出したがるのだ?」

 人質の身空で鎌倉から出ることなど叶う訳がない。そんなことは、年よりもずっと聡い姫ならばよく解っている筈なのに。

「それは……」

 うつむき、消え入る姫の言葉。伏せた眼に、逡巡の色が宿る。何かを迷って、苦しんでいるように義高には見えた。だが彼が声をかける前に、姫は意を決したように顔を上げる。

「だって……」

 黒曜の瞳に、姫を見る義高の顔が映った。不安な面持ちの、義高の姿が。

「だって、義高さまは――」

 その時、浜に馬のいななきが響き渡った。突然の邪魔に、遮られる姫の言葉。鳴いたのは義高の馬ではない。すぐ後ろからだ。

「誰だ!」

 慌てて馬を返す義高。その眼に飛び込んできたのは、白馬と、それに騎乗した武士だった。顔を死相のような表情のない面で覆っているため、その素顔を窺い知ることは出来ない。 浜には誰もいなかった筈なのに、いつの間に背後へ……警戒を強める義高へ、面の下から男の声が投げかけられる。

「姫様。お話はそこまでにしてもらいましょう」

 静かな、しかしはっきりとした声が聞こえてくる。

「貴殿、何者だ?」

 敵意を滲ませて、馬上の武者へと尋ねる義高。しかし男は義高には一瞥も寄越さず、姫だけに言葉を投げかける。

「姫様がお伝えなさろうとしていることは、天の意を歪める仕儀にございます。それは姫様自身が、一番よく解っている筈」
「ど、どうしてあなたがそれを……!?」

 困惑の声が、姫の口から零れる。腕の中の小さな体が、恐怖のためか震え始めた。眼前の男と姫がどういう関係なのか、義高には知る由もない。しかし、いきなり現れて姫を怯えさせるような男を、黙って見過ごす訳にはいかない。

「貴様、何者だと訊いている! 馬から降り、顔を見せよ!」
「やれやれ……」

 大儀そうに、義高の方を見る仮面の武者。
「相変わらず、姫様のこととなると熱くなる御仁だ。ならば――」

 すらりと、男が慣れた動作で腰の太刀を抜く。

「警告がてら、一揉みしてあげますかね」

 声音は落ち着いたままだが、腹を蹴られた白馬は、鼻を鳴らして勢いよく浜を駆け始める。

「姫様、どうぞ御照覧あれ! 私の言葉に従わなければ、木曾の御曹司が如何なる運命を迎えることかを!」

 仮面の男は、愚かにも対峙する二人に刃を向けようというのだ。今や朝廷も平家も恐れをなす源頼朝。その娘と、娘婿に。

「正気か……!?」

とてもそうは思えない。しかし向こうは既に動き出しており、逃げるには既に遅い。迎え撃つしかない。姫に伏せろと言い放つと、義高は自らも抜刀。馬の横腹に蹴りを入れ、息も吐かぬ内に交錯する。

 直後、火花を散らす刃と刃。急所に向かってぬるりと伸びてきた相手の太刀を、義高は寸でのところではじき返した。鳴る甲高い金属音が、鼓膜を痛く震わせる。

「きゃぁっ!」

 腕の中で、姫の悲鳴が爆ぜた。義高は怒りを露にして声を張り上げる。

「貴様、一体何が目的だ! 平家の刺客か!?」

 だが、男の声は怒る義高とは対照的にあくまで静かだ。

「これは異なことを。義高様はこの顔、見忘れましたかな?」

「何だと……?」

「一度言ってみたかったんですよね、これ」

 男が言っていることは理解出来ない。だが、このどこかとぼけた物腰、覚えがあるような……。

 しかしその答えが導かれる前に、敵の二の太刀が襲い掛かってくる。義高はそれも何とか防ぎ、今度は攻めに転じようとするが、残念ながら相手の方が一枚上手。馬を巧みに操って距離を取り、反撃の出鼻を見事に挫く。義高は歯噛みした。剣術だけでなく馬術も、向こうに軍配が上がっている。もし新手が現れれば自分の命運もそれまでだ。

 そこへ聞こえてくる、後方からの新たな蹄音。祈るような気持ちで振り向く義高だったが、今度彼の眼に飛び込んできたのは、自分の見知った顔だった。

「若ぁ! ご無事ですかぁっ!」

「小太郎か!」

「はい! 小太郎、若様の危機に馳せ参じました!」

 浜の空気を目一杯震わせる声で叫びながら、明王の形相になって弓を引く小太郎。

「海野小太郎幸氏、推参! 狼藉者が、さっさと死ねぇ!」

 元より小太郎の腕は申し分ない。そこに憤怒を加えて馬上から放った矢は、吸い寄せられるように刺客へと飛びかかり、

「ぐぅっ!」

 深々と、太刀を握った腕に突き刺さる。呻き声と共にこぼれた得物が、灼けた砂の上を滑った。

「少し、戯れが過ぎましたね……」

 仮面の下で呟くと、敵は馬首を翻し、浜を疾風のように走り去っていく。小太郎はそれでも容赦なしに射かけるが、白馬はすぐに、砂防のための林の中へ姿を消してしまった。後は、いつも通り穏やかな由比ヶ浜が広がるのみ。

「若、遅くなって申し訳ございません!」

 追撃を諦めた小太郎が、義高の下へ駆け寄ってくる。

「いいや、助かったぞ小太郎。よくここが分かったな」

 それは、その――。急に小太郎の言葉が澱む。

「実は、何処からともなく声が聞こえまして……若が襲われていると告げてきたのです。虫の報せだったのかは分かりませんが、とにかく急ぎ、馬を飛ばして参りました」

「……そうか。大儀だったぞ」

 義高は頷く。声が聞こえたというのは妙な話だが、今は姫を安全な所まで送る方が先決だ。

「姫、大丈夫か?」

 自分の体にしがみつき、恐怖のためか、未だ震えている姫に声をかける。しかし、

「……違う…わたし……こんな……」
「姫……?」

 どうにも様子がおかしい。もう大丈夫だからと華奢な体を抱きしめてみるが、震えは止まるどころかいっそう酷くなり、

「違うの……義高さま、違うのです……わたし、知らない……!」

 伏せた頭の下から漏れ聴こえる呟きも、どんどん大きさを増していく。

「姫、俺なら大丈夫だ。怪我もないし――」
「違う、違うの!」

 大粒の涙が、振り乱した髪と一緒に散り、砂浜に斑をつくる。

「わたし、こんなつもりでは――お許しを……お許し下さい義高さま……っ!」

 奴の言うことなど気にするな。義高がいくらそう言っても姫は聞かず、ただ彼に許しを乞う。刺客に襲われ恐怖で混乱するというのはよくある話だが、これは度を越している。義高も小太郎も必死になって落ち着かせようとするが、今の姫は聞く耳を持たない。

「いや……義高さま……死ぬのいや……死んじゃいや……っ!」

 義高の胸に顔をうずめ、姫は堰を切ったように泣き続ける。何が彼女を、これほどまでに恐怖させるのか。義高には解らない。会ってまだ半年も経たない自分の死を、ついこの間まで嫌悪していた自分の死を、どうして彼女がそこまで恐れてくれるのか解らない。

 だから、義高はもっと強く姫を抱きしめる。今彼に出来ることは、胸を濡らす温かさを感じながら、震える髪を、ただ優しく撫ぜてやることだけだった。



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